あとは、京都人を自認する物故学者・梅棹忠夫の文章を、敵認定する京都人のものとしてよく引いているが、前回は仏文学者・杉本秀太郎が敵役だった。あるいは、京都の商家では息子が京都大学へ入ったりすると商売に適さないから同志社くらいがちょうどいいと言うなどという話もあり、同志社の先生が聞いたらどう思うか聞いてみたくもある。八ツ橋の店がどれほどの老舗か、京都人は「このあいだの戦争」というと応仁の乱のことを言うとか、それらもなかなかひねった視点で語られ、『応仁の乱』(中公新書)をベストセラーにした呉座勇一もさりげなく井上所長のところの助教として登場する。

 井上は、もともとは建築史学者なので地名に詳しいのだが、建築史学会から容れられなかったという怨念を抱いているようだ。今回はその怨念が京都洛中へのそれに昇華されている。あとがきには、あっと驚く井上の「出生の秘密」が書かれている。

 井上は、愛読者なら知っている独特の文体の持ち主である。京都人的な、ぼやき漫才みたいな、長いのだがくどさを感じさせず、「のべそえておく」など独特の言葉づかいがある。それが今回は完成された域に達しており、読者は井上が書いているスピードで読んでいると、飛ばし読みする必要もなく、そのリズムに乗せられて読み終えてしまう。

 だいたい井上の「京都シリーズ」を読んでいて、私も生地まわりのものを書いてみたくなるのだが、茨城や埼玉では大したネタにもならないだろうと、くやしく感じる。

■小谷野敦(こやの・あつし)/1962年、茨城県生まれ。著書に『とちおとめのババロア』(青土社)、『近松秋江伝』(中央公論新社)、『歌舞伎に女優がいた時代』(中公新書ラクレ)など。

週刊朝日  2020年8月7日号