「台湾を歩き、ゴミが落ちてないのに感心した」

 と司馬さんが言えば、

「それは贔屓(ひいき)だよ。モラルはこれからだよ」

 と笑う。このとき同席した本誌の池辺史生記者がその笑顔をスケッチ、後日に見せると、

「ああ、あごが大きい」

 次に会ったのは翌年3月、週刊朝日の対談「場所の悲哀」の席である。

 連載終了後も司馬さんの関心は台湾にあった。

 李登輝さんも司馬さんの台湾への共感、同情の思いを知り、信頼を深めていた。さらには司馬さんの持つ影響力も強く意識していたと思う。

「中国共産党は台湾省は中華人民共和国の一省なりという。変てこな夢ですね。台湾と大陸は違った政府である、いまはここまでしかいえません」(『台湾紀行』所収)

 いま読んでも中国が歴史的に持つ危険性、台湾の悲哀、強さがよく伝わる。仲が良くても、作家と政治家の真剣勝負だった。対談のまえがきで、司馬さんは書いている。

「たれよりも、大陸中国のひとたちに読んでもらいたいと思っている」

 26年が過ぎ、香港の事態を台湾の人々は憂慮している。さらに中国が勢いを増したいま、2人が会えばどんな話になっただろうか。(本誌・村井重俊)

週刊朝日  2020年8月14日‐21日合併号