■大林監督の主な劇場映画(解説・大林恭子さん)

◇1977年 「HOUSE/ハウス」「瞳の中の訪問者」
「『HOUSE』は大林の父方の実家と医院が原点になっています」。役名『シロ』のちゃんの本名は『アカ』!

◇78年 「ふりむけば愛」
 スタイリストがいない時代、「初めて百貨店の全館とタイアップしてもらって、山口百恵&三浦友和の衣装や小物等をすべて調達しました」

◇79年 「金田一耕助の冒険」

◇81年 「ねらわれた学園」
「ケーキまで消えもの(料理)はすべて私が作りました。映画館で見た時、隣の女子高生3人組が食事のシーンになると『おいしそう!』と言ってくれたのは、すごくうれしかったわ」

◇82年 「転校生」
 恭子さんがプロデューサーになることを決意。クレジットに初めて肩書を入れる。

◇83年 「時をかける少女」「廃市」
「『時をかける少女』では(原田)知世がまだ14、15歳。よく食べては笑っていたからゲラ子だねって言ってました」「『廃市』は80年代のすごく忙しい中でぽっとスケジュールの空いた2週間、監督の『(映画を撮りたい人は)この指とまれ』で2千万円で撮った作品です」

◇84年 「天国にいちばん近い島」
「撮影場所と宿泊所は距離があったんですね。ラーメンを持って行ったら、みんなが『うどん、おいしそう!』って。ラーメンとは言えなくなっちゃいました」

◇85年 「さびしんぼう」「姉妹坂」
「『さびしんぼう』の撮影は寒い時期で。仕事が一段楽した車両部の男性たちを市場に連れて昼食用の買い出しに。あったかい魚汁などを毎日作っていました」

◇86年 「彼のオートバイ、彼女の島」「四月の魚」「野ゆき山ゆき海べゆき」

◇87年 「漂流教室」

◇88年 「日本殉情伝 おかしなふたりものくるほしきひとびとの群」「異人たちとの夏」

◇89年 「北京的西瓜」

◇91年 「ふたり」
尾道で記者発表した翌日の撮影は大雨だったが決行。「監督が何を言い出すかわからないからスタッフは監督が言いそうなことすべてを用意していました」

◇92年 「私の心はパパのもの」「彼女が結婚しない理由」「青春デンデケデケデケ」

◇93年 「はるか、ノスタルジィ」「水の旅人―侍KIDS―」
「はるか、ノスタルジィ」は美術予算をたっぷりとって大掛かりなオープンセットを組んだ。東宝撮影所20年ぶりと言われた。「恭子さん、ありがとう。これで死んでも思い残すことがない」と言った美術監督の薩屋和夫さんは翌年亡くなった。「もっと苦労をかければよかった」

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「海辺の映画館ーキネマの玉手箱」のピアノはどこから?