あちこちに棲みましたが、結局一番長い歳月を棲んだ京都で、私は間もなく死んでゆくのでしょう。

 今から絵描きになるようにすすめて下さいましたが、ちょっと遅すぎはしませんか?

 実は、ヨコオさんにすすめられるまでもなく、私は人生の最期に絵描きになりたくて、ひそかにその絵を頭の中で何度も描いて楽しんできました。それがいつ描いてみても、必ず、あの世での私の暮(くら)しの一部なのです。きっと、ヨコオさんのあの世の小説を読み過ぎたせいで、そんな現象がおこるのでしょう。あの世では、私は相変(あい)らず小説家で、毎日毎晩小説を書いている。でも締切(しめき)りというのがなくて、のんびりしています。つまり書いたものを買ってくれる出版社というのが、あの世には無いようです。

 小説が売れなくても、のんびり食べていかれるようなので、この世よりずっと好(よ)さそうです。もちろん、税務署なんか無いみたいです。

 ここまで書いただけでも、あの世の方が好さそうですね。もちろん、コロナなんていやな病気など無いでしょう。戦争も、地震も大水も無いでしょうね。すると、退屈かしら?

 人間は、どこまで悪いことするかわからないので、神さまだか、悪魔だかが、時々、ヘンな病気をはやらすのでしょう。

 岡本太郎さんの名前が、今度のお手紙には出てきてなつかしかったです。

 太郎さんが絵を描く時、私はそばで何度か見ています。ほら、あの家の玄関を入ったすぐ左側に太郎さんのアトリエの入口がありました。あんまり客はそこを知らないようでした。私は太郎さんに気に入られて、一緒に棲もう、俺の秘書になれと、二階に私の部屋まで造ってくれたそうですが、私は断りつづけ、その部屋を覗(のぞ)いたこともありませんでした。太郎さんが、認知症になった晩年、太郎さんの絶好の秘書で、実質的妻君だった敏子さんまでもが、

「もう私ひとりで先生を守りきれない。頼むからセトウチさん、一緒に先生をみて!」

 と泣いて言われましたが、私は断り通しました。それは今になっても、間違ってなかったと思います。

 玄関脇のアトリエで絵を描く太郎さんを何度も見ましたが、いつも敏子さんがその壁際に腰かけていて、

「センセ! そこ黄色! そこ、紫!」

 と色まで指定していました。二人は今頃、あの世でも仲よく、同じ階に坐(すわ)っていることでしょう。

 で、私はまだ死ねない様子です。真実、飽き、うんざりしてきましたよ、この世! では、また

週刊朝日  2020年8月7日号