二カ月の行が終わった時、体重は七キロ痩せて、中年肥(ぶと)りだった私の体は、いともスマートになっていました。私はこの行がすっかり気に入って、もしあの世で、閻魔(えんま)さんに、

「もう一度、浮世に帰してやろう。どのあたりが望ましいか?」

 と聞かれたら、即座に、「比叡山の行院へ」と言うつもりになりました。あれから四十六年過ぎましたが、その答えは今も、変わらないつもりです。

 あの時は、このお喋(しゃべ)りの私が、終日ほとんど無口で過ごしたのを思い出します。

 何でもやっておくことだなあ、と、九十八になった私は、近づいてきた死を前にして、つくづく想(おも)っています。

 長い人生の終(おわ)りに、コロナなど、思いもかけない魔物に襲われましたが、これも冥途(めいど)の土産話になるかと考えています。

 さすがにこの四、五年、体じゅう、特に右肩から右腕が痛くてヒイヒイ言っています。原稿用紙八枚でいいのに、ボケが来て、十六枚も徹夜して書いてしまった報いが来たのです。

 いよいよ、ボケが来たのかもしれない。まあ、九十八歳だもの。ボケたって不思議じゃないですよね。

 ──人間は何のために生まれてきたのか──

 法話をする度、よく話すことです。私が話す前に、質問に必ずというくらい出てくることばです。私はその度、一段と声を張り上げて、

「愛するためです」

 と答えています。

 愛したら、必ず苦がついてきます。それでも、人間としてこの世に生まれた以上は、誰かを、何かを、自分の我を失(な)くすほど愛してみたら、

「生きてきて、ああよかった!」

 とお腹(なか)の底からの声が出てくるのではないでしょうか。私は寂庵の法話でよく言います。

「たくさん愛しましょう。そのためには、うんと食べましょう。どうせ食べるなら、美味(おい)しいもの、好きなものを食べましょう!」

 コロナの到来で、寂庵の月一回の法話もずっと休んでいます。

 道場に百五十人ほどがつめこまれ、身動きも出来ないほど人が集まるので、コロナのいる間は、とても出来ません。

 私はかくの如(ごと)く元気です。ヨコオさんも「いやなこと」が一切聞こえなくなった幸いを楽しんでください。

では、では。

週刊朝日  2020年7月17日号