世の中も、何だかハイカラ趣味になって、若い娘たちは、モダンガール、つづめて「モガ」、若い男はモダンボーイ、つづめて「モボ」と呼んでいました。

 モガは、なぜか、みんな断髪にしたがりました。洋服を普段着にして、靴をはくのが当たり前になりました。

 四国の徳島のような田舎町でも、そんなスタイルの若い娘を、時折見かけることがありました。

 うちの母など、ずっと日本髪で、毎朝髪結(かみゆい)さんに通っていたのに、ある朝から、「洋髪」になって、「耳かくし」という髪型になりました。

 すべて「ハイカラ」が、女のあこがれになっていたようです。

「ハイカラ」は「モダン」と同義語だったようです。

 五つ年長の姉の小学生の時は、クラスの生徒は、ほとんど着物に草履で、姉が母の趣味でワンピースを着せられ、革靴をはいていたのが、話題になるくらいでした。

 何でも、「新しい」ことが「すてき」なことと信じられていたような気がします。

「大正」は旧めかしく「昭和」が新鮮でした。

 どんな時代が来ても、子供だった私は眩(まぶ)しく、愉(たの)しく、いきいきしていました。

 戦争が始まっても、日本は、必ず勝つと信じて疑わず、陽気なものでした。

 今、あれこれ振り返ってみると、人間というのは本来、性格は陽気に生まれついているように思います。

 まさに数え百歳に手が届くまで、生き延びてしまった私は、しみじみ過去を振り返ってみても、他人が同情してくれるような、深刻な不幸を味わった覚えはないようです。

 波乱万丈に生きたかもしれないのに、数え百歳に手の届く今になって振り返ると、相当、面白い極めつきの一生を送ってきたと思います。

 ヨコオさんの言われるように、運命にあまりさからわず、運命の波に乗って、ゆらゆらきてしまったように思います。

 運命にまかせるのは、勇気のいることですが、まかせてしまえば、運命の波は人間の想像以上のことを見せてくれます。

 もう間もなく死ぬときが来たら、「ああ、面白かった!」と、私は出ない声を喉(のど)で鳴らして、笑って旅立つことでしょう。

 出来ればその時、ヨコオさんに横にいて欲しいですね。

では、またまた

週刊朝日  2020年7月10日号