僕は運命のいたずらで、本当になりたかった郵便屋になれず、運命の強引な方向転換によって、デザイナーにさせられたかと思うと、突然、絵の方へ行け! と言われて言いなりになった結果の今です。迷ったり、心配する間もなく、運命の言いなりになるしかなかったのです。なりたくってデザイナーになり、画家になったんだろうと人は言うかも知れませんが、全然違います。そうさせられて、そうなっちゃったんです。

 そんなわけですから、今は齢のせいもありますが若い頃のような野心や野望で疲れるようなことはないです。まあ、老齢になると自然に欲もなくなり、欲望に振り廻(まわ)されることがないので楽といえば楽です。さて、ではこれからの残った寿命で、何をしますか? と聞かれても、運命に聞いて下さいとしかいえません。人ごとみたいですが、人生は人ごとでいいんじゃないですか。自分ごとにするとシンドイです。したくない努力もしなきゃいけない。努力をするのは自分ではなく、運命です。運命が僕を素材に努力すればいいじゃないか、と僕は運命に対しては優柔不断で無責任です。もう、この年になって、あれこれ、ややこしいことを考えたり、問題にしたくないですからね。人間に直感が与えられているということを最大限に利用して、まかせるとこはまかしましょう。あとは楽しいことをしながら、我がままに生きるしかない。セトウチさんを見ていても、そー思います。

■瀬戸内寂聴「旅立ちの時、ヨコオさんは横にいてほしい」

 ヨコオさん

 84歳のお誕生日おめでとうございます。

 昭和十一年六月二十七日が、お誕生日でしたね。

 この原稿の載る雑誌は、六月三十日発売号ですから、ヨコオさんのお誕生日の三日後に出るわけです。

 私は大正十一年五月十五日が誕生日ですから、大正が昭和になった時、小学生になっていて、

「昭和、昭和、昭和の子供よ、僕たちは……」

 などという歌を、学校で習ったことを思い出します。

 昭和になると、国語の教科書が、きれいな色つきになったものです。

 私たちより若い世代の生徒たちが、色つきの教科書を持っているのが、羨(うらや)ましかったのを、はっきり覚えています。

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