たとえば、病院を舞台にした表題作。ベッドで点滴を受ける93歳の「田中幸子」さんが手鏡をのぞき込む。そこに映るのは若かりし頃の顔。まもなく少女や両親に続き、軍服姿の夫が……。

 漫画ならではの表現だと感心させられたのは、少女にカステラをすすめる場面だ。しかし、実際に病室にあるのはティッシュペーパーの箱。二つのコマの連結で、幸子さんの意識は混濁しているのだと、読者に悟らせる。

 出征した夫と再会する場面では、幸子さんは驚き、涙ぐみ、口を尖らせる。その表情の変化がまた素晴らしい。説明めいた台詞がないことで、読者の想像力を刺激する。読み直すたびに気づかされることがある。

 原作者と作画家の「一人二役」のリレー作業のため、「1作描くのに、小説の短編3本分の労力がかかりました」と振り返る口調が躍っていた。「楽しかったわけですね?」と尋ねると、「はい」と即答した。「もう何時間でも机に向かっていられましたね」(朝山実)

週刊朝日  2020年6月26日号