どのような悲劇的な状況の中でもアートは社会に抵抗すると同時に、作家の内面への探求は止めません。フランスでも戦時下、シュルレアリストらが地下に潜って、画家は制作し続けました。プロパガンダ的作品を描いたわけではなく、ダダのピカビアなどは随分エロティックな女性のヌードなどを描いていたのです。谷崎潤一郎さんだって源氏物語を翻訳したり、「細雪」などの小説を書いていましたよね。そのこと自体が反社会的行為で、今想(おも)えば政治的行為にみえますよね。ストレートな政治批判よりも逆に強烈なメッセージ性と普遍性が芸術にはあります。

 そんな風に考えると、もし無人島に住むなら、何の本をというより、僕はやはり芸術行為を重視してキャンバスと絵具と筆を持って行きます。セトウチさんも原稿用紙とペンを持って行かれるでしょう。創造の中には思想も哲学も何もかもを生み出す表現の力が内蔵されているのです。でも死ぬ時は、こんなもんは持って行く必要がありません。向こうの世界そのものが芸術ですから、手ぶらで行きましょう。

 でもこのコロナ禍が色々と生き方、考え方、絵まで変えてくれました。コロナ様々とは言いませんが、コロナとの共生「WITH CORONA」を味方につけて、コロナのネガティブパワーを芸術のポジティブパワーに変えて、毎日マスク、アートを職人になったつもりで描き続け、発信し続けます。今日も送ります。

■瀬戸内寂聴「ヨコオさんの、マスクの人物画から不思議な力」

 ヨコオさん

 世の中は、やはり動き、流れてゆきますね。

 一体、いつまで、どうなるかと思われたコロナ禍も、次第に力を弱め、世の中が何となく落ち着いてきました。

 ヨコオさんの過去に描かれた個性的な人物画に、大きなマスクを着けさせた絵が、世の中にあふれて、急に賑(にぎ)やかな雰囲気が湧き、それを見ただけで、不思議な精力が湧いてきて、

「コロナなんて、何じゃい! 負けるもんか!」

 という勢いが波立ってきて、人間の不思議な力が湧き起こりました。

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