──ここを少し詳しく説明すると、わたしが学生のころ、彫刻科の教室は東山七条の智積院の墓地から少しあがった山の麓にあり、その小学校の分教場のような木造平屋の教室の一角には学生が宿直をする部屋(土間の台所と六畳間)があった。わたしはその宿直のバイトを一年間したが、毎晩、学生(その中にはよめはんもいた)が遊びにきて酒を飲み、酔って雑魚寝をする。麻雀は必ずするから、たいていは朝まで明かりが点いていて騒がしい。そんなとき、四条あたりで飲んだ帰りの辻さん(彫刻科の教室から歩いて五分ほど坂をあがったところに自宅があった)が宿直室を覗いて雷を落とす。学生が夜中に麻雀をするとはなにごとだ、と。辻さんの説教は長いのが有名だったから、こっちは俯いて嵐がすぎるのを待つ。そんなふうによく怒る頑固オヤジだと分かっていたから反感はない。平櫛田中に道を拓かれて京都芸大の彫刻科を造り、盟友堀内正和を招聘して草創期からの彫刻科を支えたひと、という畏敬の念が強かった。その作品は戦前の写実から戦後の抽象へと、常に彫刻界の第一線を走り、多くの彫刻家を育てた──。

 愛知県陶磁美術館の『異才 辻晋堂の陶彫』はおもしろかった。特に最晩年に多く制作された具象の作品群はほのぼのとしたユーモアがあってすばらしい。常設展示も充実していたから、よめはんも満足して、帰りにファミレスのハンバーグを奢ってくれた。

週刊朝日  2020年6月26日号

著者プロフィールを見る
黒川博行

黒川博行

黒川博行(くろかわ・ひろゆき)/1949年生まれ、大阪府在住。86年に「キャッツアイころがった」でサントリーミステリー大賞、96年に「カウント・プラン」で日本推理作家協会賞、2014年に『破門』で直木賞。放し飼いにしているオカメインコのマキをこよなく愛する

黒川博行の記事一覧はこちら