その後もメールのやりとりなど交流は続きます。58秒71で100メートル平泳ぎを制した11年の上海世界選手権の会見では、直前に母国で起こった犠牲者77人の連続テロ事件について触れ、「勝利の唯一の理由は母国での事件。悲しみを勇気に変えた」と涙をこらえていました。金メダルを狙ったロンドン五輪を前にした12年4月30日、心臓まひで亡くなりました。26歳でした。

 いつかノルウェーに行くと約束して、4年前にようやく実現できたのです。

 大会では会場のアナウンスで「日本から来た北島選手のコーチとオリンピアンの2人です」と紹介され、歓待を受けました。プールサイドで男性から「よく来てくれた。待っていました」と声をかけられました。雰囲気がよく似ているのでダーレオーエンのお父さんだとすぐわかりました。

 自宅に招かれてサンドイッチをごちそうになり、家族のみなさんと思い出を語り合いました。その夏のリオ五輪で萩野は金銀銅の三つのメダルを取り、星は200メートルバタフライで五輪2大会連続銅メダルを獲得しました。ダーレオーエンの故郷に2人を連れていったのは、競技を通して友情を育むことの大切さを知ってほしかったからです。

 別れを惜しむご家族に、「また来ます」と伝えました。世界の人の交流が再び盛んになったとき、フィヨルドに抱かれたベルゲンを再訪したいと思っています。

(構成/本誌・堀井正明)

週刊朝日  2020年6月19日号

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平井伯昌

平井伯昌

平井伯昌(ひらい・のりまさ)/東京五輪競泳日本代表ヘッドコーチ。1963年生まれ、東京都出身。早稲田大学社会科学部卒。86年に東京スイミングセンター入社。2013年から東洋大学水泳部監督。同大学法学部教授。『バケる人に育てる』(小社刊)など著書多数

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