それが東京地検特捜部に持ち込まれた。「突然、社内でゴーンの不正を糾弾しても返り血を浴びるだけ」と、日産幹部は司直の手を借りることにしたのだ。ちょうど司法取引制度が導入されたころだった。

 検察は、大阪地検特捜部の証拠改竄事件で威信が地に落ち、その後遺症で「事件をやらない」と揶揄(やゆ)される冬の時代を迎えている。逆風をはね除け、「特捜検察の復権」を託されて東京地検特捜部長に就任したのが森本宏だった。大物の検察OBの弁護士は「森本で特捜部を立て直せなければ、特捜部が復活することはない」と語る。

 森本は17年の就任会見で「新しい時代に合った捜査手法で、取り組むべきものに取り組む」と話していた。司法取引は、まさに彼の言う「新しい時代に合った捜査手法」だった。日産からゴーンの不正が持ち込まれて4カ月経った18年10月、ナダと大沼敏明秘書室長と検察との司法取引に向けた協議が始まっている。

 司法取引は、部下が上司の不正を申告することで事件の全体像を解明することを想定した制度だ。犯罪に関与していても、証拠の提出や供述の協力をすることで検察から罪を問わないことを保証してもらう。ナダと大沼は、ゴーンと共謀してジーア社の資金をゴーンの住宅購入に充てたことや、役員報酬欄が虚偽である有価証券報告書を提出したりしたことを認め、ナダは53点の、大沼は87点の証拠を提出した。「(ゴーンが)完黙でも起訴できる」。検察の中堅幹部は手ごたえを感じた。

 検察との協議が進んでいた18年10月、今津が証拠をもとに西川廣人社長にゴーンの不正を説明した。「もう特捜部が動いています。協力せざるを得ない状況です」と今津。ゴーンの側近だった西川には、おぜん立てが整った最後の段階になって、ようやく説明された。

 これが、朝日新聞取材班がつかんだ「真相」である。国外逃亡したゴーンの言う「陰謀」とはだいぶ異なる。彼を放逐するために不正が捏造されたのではなく、不正があったので放逐された。

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