高樹:1100年前の男の歌人の人生を雅語りにしたというか、「語り」って音楽なのよ。「調べ」って音楽じゃないですか。クラシック音楽って何度でも聴けるし、オペラのアリアだって何度聴いてもいい。だから「調べ」を小説にして、しかもあいだに和歌が入っているわけだから、音楽的調べを小説にしたら何度も読んでもらえるかなという希望があったんです。なぜこれが売れてるのかよくわからないんだけど、たぶん気持ちよく読んでくださってるんじゃないかと思う。

林:「何々でございます」が、何とも言えない、雅な雰囲気ですよ。

高樹:難しい古典と格闘しなきゃいけないと思ったら、人は読んでくれないし売れないと思うけど、業平の歌も人生も、ある種の音楽を聴くみたいな調べに乗って、流れに乗ってスラスラ読めるようにしたから、取りつきやすいのかもしれない。やっぱり文体が必要。

林:文体ですね。

高樹:売れなくてもいいから、自分の語りを体得して、その語りで小説をやろうと決めたんですよね。その語りで思う存分に業平を語ったら、思ってるよりヒットしたというか。

林:日本人にちゃんとそういう素養があった、求めてるものがあったということですよね。

高樹:時代もあると思う。今、お手軽なものじゃなくて、何かエッセンシャルなものが求められてるんじゃないかな。じゃないと、こんな分厚い古典がらみの本が売れるわけがないもの。時代としてがっちりと重たいものが求められてるみたい。地下鉄とかでも、今までみ~んなスマホだったんだけど、本読んでる人が多くなったって聞くし、ちょっと風が変わってきたのかもしれない。

林:それはすごくうれしいことで、希望を託したいですね。高樹さんは音楽好きでもありますが、この本を通して読むと、音楽が聴こえてきます。それもオペラのアリアが。

高樹:ほんと? 「音楽が聴こえてきた」っていうのは、私にとって最大のほめ言葉。いちばんうれしい。

林:ハイライトは、業平が藤原高子(清和天皇の女御、のち皇太后)をさらって逃げるという「伊勢物語」の有名な場面……。

高樹:「芥川」という章段のところね。

林:高子姫が草におりている露を見て、「あれは何?」とあどけなく業平に聞くという。でも結局、高子さんはお兄さんたちに連れ戻されちゃうんですね。

高樹:「伊勢物語」では鬼に食われたことになってるんだけどね。

林:恋に破れて傷心の旅に出た業平は、「杜若(かきつばた)」の歌(唐衣着つつなれにしつましあれば はるばる来ぬる旅をしぞ思ふ)を詠むじゃないですか。「源氏物語」の「若紫」は、明らかにこれをモチーフにしてるわけですよね。

高樹:そうそう。紫式部は「これ、いただき」という感じで、「伊勢」の影響を受けたと思いますね。私も逆に、「源氏物語」を参考にさせてもらったんですよ。たとえば「源氏物語」の「雨夜の品定め」の場面を、『業平』では旅先での過去の女の告白ごっこにしたり、「源氏」を参考にさせてもらったところがいっぱいあります。

【“手紙で恋する”は本当? 高樹のぶ子と林真理子の女流作家対談 へ続く】

(構成/本誌・松岡かすみ 編集協力/一木俊雄)

週刊朝日  2020年6月19日号より抜粋