ヨコオさんは、自分のおしゃれも、住み方も、もしかしたら恋愛の仕方も、その時々に衝動的に自分の内部からわき上がってくる要求に応じて見繕っているようです。

 それがまた、何とも似合って、シックなので、若者たちも、いつまでも若者ぶりたがる老人までもが、競って真似したがるのですね。でも、それが、御本人のヨコオさんほど、身に添って似合う人は、めったに居るものではありません。まあ、ほんとの流行の新スタイルというのは、ヨコオさんのように躰(からだ)の芯から珍奇に造られる人物が、さり気(げ)なく、自然一体に産み出すものなのでしょう。

 画家は自分の製作の様子を、人に観られても意に介さない人が多いようですが、作家はよく乱雑この上ない書斎などで、頭をかきむしって原稿用紙に向かっている写真など、写させていたりするけれど、あくまでそれはポーズで、本当に物を創作している真剣場に、人に写させたりはできないと思います。

 几帳(きちょう)のかげで、きゃしゃな机に向かって、美しい和服姿の盛装で、ものを書いている写真を撮らせている女流作家など見かけますが、あんな恰好(かっこう)で、小説など書けるわけがありません。五十一歳で出家して以来、私は坊主頭で、作務衣姿で、机に向かう時、これほど物書きの労働者としてふさわしいスタイルはないと、感心しています。小説を書くのは、体力と心力を総動員する、大変な労働です。それは画家も同じことだと思います。

 つい先日、私は満九十八歳の誕生日を迎えました。二十何歳からペン一本で食べてきたので、七十何年余り、書き続けたことになります。さすがにごく最近では、全身のあちこち、いつでも痛く、ヒマさえあれば、ごろりとベッドに寝ころがっています。数えなら九十九歳、白寿ということで、心身の衰えは当然のことでしょう。願わくは、死ぬ瞬間まで意識がはっきりして、別れにかけつけてくれたヨコオさんに、にっこり笑顔をつくったつもりで死んでゆきたいですね。では、おやすみ。

週刊朝日  2020年6月12日号