「当時は(ビート)たけしさんのオールナイトニッポンが大人気で、みんながあのしゃべり方を真似したがった。ラジオ局からも『もっと若い人たちを突き放すしゃべり方をして』と言われたんです。でも『いや、僕にはできないから』って断った。結局、無理してキャラクターを作らなかったのがよかったんでしょうね」

 なんでも相談できる兄貴的なキャラで、人気が沸騰した。その後「いかすバンド天国」などテレビ界からもオファーが殺到。しかし心の中では葛藤もあった。

「僕は作り込んで演じる『コント』の笑いが好きなんです。でもテレビ業界に入ったとたん“演じる笑い”がどんどんなくなっていった。ちょうど『8時だョ!全員集合』の視聴率が『オレたちひょうきん族』に抜かれた頃です」

 作り込んだコントの笑いよりも、舞台裏を見せたり、芸人本人のキャラクターのおもしろさが求められるようになった。笑いが変わっていくのを感じたという。

「僕らは家に閉じこもって、ククッと笑いながら一生懸命に笑いを考えていた時代の人間。でもそうした笑いは『演じているんでしょ』としらけられるようになってしまった。自分自身が“おもしろい人間”にならなきゃいけなくなったんです。そこはテレビに鍛えられたかもしれません」

>>【後編】「コロナ後の“笑い”は? 三宅裕司、YouTube挑戦と劇場再開への想い」へ続く

(中村千晶)

週刊朝日  2020年6月12日号より抜粋