「この子は何というホラ吹きだろう」

 と笑いました。でも、天才作家の三島由紀夫さんは、産まれた時、うぶ湯を使った、たらいの縁を覚えていたというではありませんか。私が赤ん坊の時の大地震の経験を覚えていても不思議ではありません。

 コロナ騒ぎで、この春から全く日本は大変でしたね。百年前、つまり私の産まれた直前あたりに、スペイン風邪がはやり大騒ぎしたそうですが、百年も時が経てば、世の中に異常なことが起きるのは当然かもしれませんね。

 私はこの五月十五日で、数え九十九歳の誕生日を迎えたのです。暦の祝いごとは数え年で決めるそうですが、数え九十九歳は白寿ということになります。自分が白寿まで長生きするなんて夢にも考えたことがありません。極端な偏食で、栄養失調で、年中おできだらけで、薬くさい汚い子供だった私は、近所の子供たちから、

「ハアちゃん、臭い!」

 といって遊んでもらえません。年中漢方薬のねり薬を頭につけて、包帯をしていたので臭かったのでしょう。仕方なく独り遊びをするようになり、私は空想の中に自分を開放し、物語を自分で考えだすようになりました。人間と遊ぶより、本と遊ぶのが好きになりました。もし、子供の時、健康で幸せで、友人に恵まれていたら、私は小説家には、なっていなかったでしょう。

 今の子供たちは、マスクで顔を覆い、学校も休みがちで可哀(かわい)そうですね。コロナなんて目にも見えない怪物と戦って、へとへとになる生活なんて異常です。早くコロナをやっつけて、まぶしい夏を迎えたいものです。

 九十八歳の誕生日を祝って、全国からお花をいただき、今、寂庵の廊下も部屋も花があふれ、花屋が三軒も開けそうです。

 でも、これも最期の誕生日の有様のような気がします。

 長生きも、ほどほどがいいと思います。

 ほどほどとは、九十歳くらいでしょうか。

 私は“やや”生き過ぎたと思います。

 これまでに御自分では呆けたことに気づいていないおエライ方々を、たくさん見送ってきました。ヨコオさん、親友のよしみで、私が呆けたら、必ず教えてね。恩にきますから。

 あなたは呆けない。天才は始めから呆け半分だから。

 ではまたね。おやすみなさい。

週刊朝日  2020年6月5日号