野村克也さん/野球監督 (週刊朝日1995年12月22日号より)
野村克也さん/野球監督 (週刊朝日1995年12月22日号より)
林真理子さん
林真理子さん

 今年連載25周年を迎える「マリコのゲストコレクション」では、作家・林真理子さんが数多くのゲストをお迎えしました。その中から、「勇気が出る言葉」を選りすぐり、振り返ります。今回は1995年12月22日号から、野球監督の野村克也さんです。

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 今年2月に亡くなった野球界の希代の知将・野村克也さん。「心が変われば人生が変わる」をモットーに、監督時代には「野村再生工場」で、多くの選手を再生したことでも知られました。対談が行われたのは、息子の克則さんのヤクルトへの入団が決まった直後。ふだん「辛口」で知られる監督も、奥さまのこととなれば、目尻を下げてフェッヘッヘッと照れ笑いで──。

林:野村さんは、現役時代から、引退したら監督になってやろうと思ってらしたんですか。

野村:監督というより、引退したら日本一の解説者になってやると思ってましたね。優勝しないときは、スポーツ新聞の観戦記とか、テレビのゲスト解説とかに出ていきましたね。本職の解説者には絶対負けないと思って、五色の色鉛筆で、コースと球種を一球一球書いていきましたよ。

林:へえー。

野村:ほかの人はこういう見方はせんだろうから、それを書こうとか、それが評判になって、監督の道につながったんじゃないかと思うんです。

林:男性のやりたい職業は監督だってよくいいますね。

野村:連合艦隊の司令官、オーケストラの指揮者、プロ野球の監督が男がやりたい三つの職業。野球をやった人は、一回はやってみたいでしょう。

林:でも、日本一の監督になるのって、それこそ夢のまた夢ですよね。

野村:明治神宮の砂利道の中からダイヤモンドを拾うようなもので、そういうことを考えると、幸せすぎてコワいですよ。

林:エッ、やだ。監督が「幸せすぎてコワい」って(笑)。監督、吉川英治さんの「われ以外は皆、師」という言葉をよくおっしゃいますけど。

野村:吉川英治さんの「難しい、やさしい、どっちも本当だ」という言葉にすごく感動しまして。これに「野球は」とつけたらピッタリなんです。難しいことを簡単にやって、初めて一流だと思うんです。僕は二流ですから。

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