帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など多数の著書がある
帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など多数の著書がある
『「いき」の構造』で知られる九鬼周造氏 (c)朝日新聞社
『「いき」の構造』で知られる九鬼周造氏 (c)朝日新聞社

 西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。老化に身を任せながら、よりよく老いる「ナイス・エイジング」を説く。今回のテーマは「諦念」。

【写真】『「いき」の構造』で知られる九鬼周造氏

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【ポイント】
(1)諦めることを前向きにとらえたい
(2)諦めを知ることで野暮から粋になる
(3)最後には「随所に主となる」の境地に至る

 世の中、思い通りにならないことが多いものです。若い頃ならば、そういうときに腹を立てたりしたのでしょうが、歳を重ねると反応が変わってきます。それは、「諦める」ということを知るようになるからではないでしょうか。

 諦めるとは、「思い切る。仕方がないと断念する」(広辞苑)ことです。このように書くと、前向きには感じられませんね。やはり、何事も諦めなかった若い頃の方が元気にあふれてよかったように見えます。しかし、ナイス・エイジングの立場からすると、歳をとって諦めることも前向きにとらえたいのです。

 そこで登場するのが九鬼周造さんの『「いき」の構造』(岩波文庫)です。九鬼さんはこの本のなかで諦めることを、とても前向きにとらえています。「いき」であるためには「諦める」ことが不可欠であると説明しているのです。そして、「諦め」についてこう書いています。

「(諦めは)運命に対する知見に基づいて執着を離脱した無関心である。『いき』は垢抜がしていなくてはならぬ。あっさり、すっきり、瀟洒たる心持でなくてはならぬ。(中略)『いき』のうちの『諦め』したがって『無関心』は、世智辛い、つれない浮世の洗練を経てすっきりと垢抜した心、現実に対する独断的な執着を離れた瀟酒として未練のない恬淡無碍の心である。『野暮は揉まれて粋となる』というのはこの謂にほかならない」

 なるほど、歳を重ねて諦めることを知るのは、野暮から粋になる過程でもあるのです。そう言われると、いい気分がしますね。

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帯津良一

帯津良一

帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など著書多数。本誌連載をまとめた「ボケないヒント」(祥伝社黄金文庫)が発売中

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