「それを受け入れることに罪悪感もありました。身体的虐待などと違って、真綿で首を絞められるような過干渉の苦しさを言葉にするのは本当に難しくて」

 その後、カウンセリングや自助グループに通って記憶と感情を整理した。同じ頃、難病を発症した母には一度も会いに行っていない。

「父に責められ、家の前で待ち伏せされたりしましたが、味方になってくれる夫に間に入ってもらいました」

 母が看取り期を迎えたら、事情を知らない関係者などからの無神経な言葉や対応を避けることも含め、一切のプロセスから心を守るため緊急入院しようと決め、すでに診察を済ませた上である医療機関に予約を済ませた。手続きは全て弁護士に任せるつもりだ。

「両親には、私がなぜそうしたかを説明したいとも、謝ってほしいとも思いません。どれだけ言葉を尽くしても、彼らには受け入れられないと、自分の中で納得できてしまったからです」

 今、やっと自分の人生が始まった気がすると言う。

「私と似た問題を抱えたまま親の介護に直面し、苦しんでいる人がいたら、あらゆる社会資源、許す限りのお金を使って、介護から逃げて、と伝えたいです。自分の人生を失わないために」

 きらいな母とは、子ども時代にさかのぼる長い母娘関係の中で娘が“あきらめざるを得なかった母”を意味する。母に従うか自分を殺すか、というギリギリまで追い詰められた果てに自分を選んだ娘たち。にもかかわらず、母の老いや介護に直面することで、再び母との距離を縮めずにはいられないような不安な心理にさせられるのはなぜだろう。

「母性愛神話が盤石の社会で、弱者になった母を否定したり、遠ざけるのはヒューマニズムに反するのでは、という自己批判が、良識あるまともな人ほど湧いてきてしまうからでしょう。やっと母の力が衰えた、復讐の一つもしてやろう、と思えたら楽かもしれませんが、そうはならない。真面目に生きてきた人が直面する苦しみだと思います」と解説するのは、カウンセラー、信田さよ子さんだ。信田さんは、日本における母娘問題の流れを五つに分け、5期に当たる現在から先は、一度は母と距離を取れた女性たちが介護という局面を迎え、新たな問題に直面していくのでは、と予測する。

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