お母さんは依存症だよ、治療するなら支えるけど、認められないなら一緒に暮らせない、と迫るアユミさんに返ってきた母の答えは「じゃ、別れよう」だった。

 まもなく両親は離婚。母は遠方に住むアユミさんの妹を頼り、父は70歳を超えて結婚相談所で知り合った女性と再婚したそうだ。

「本当に懲りない人たち。私は自分の家族を守るためにも両親と別れざるを得ませんでした。この先、きらいな親の介護を無理やりすれば、そのストレスで私の心身の健康はたちまち損なわれ、自分の子やパートナーにネガティブな感情をぶつけてしまうでしょう。怒りや恨みを抱えた人に介護される親も不幸。いいことは一つもありません」

 自営業の父と、専業主婦の母の一人娘として育ったユカリさん(44)は今、難病のために医療付きの介護施設で過ごす母と、実家で一人暮らしの父とは数年前から会うこともない。

「3人家族なのに、記憶をいくらたどっても父の姿はありません。その分も母は私にとって絶対的な、神のような存在でした」

 ユカリさんが何をし、誰を友人にし、進路をどうするか、すべて母が決めた。中高生になっても、外出の際は誰と何をしてきたか、玄関で待ち構える母に報告しなければならなかった。

「母の前に出ると、自然と取調室の容疑者みたいな気持ちにさせられた。“洗脳”ですね。外出の帰り道は、いつも頭の中で母に話す練習をしていました」

 結婚後も母に乞われて実家の近所に住み、月一度は両親と自分たち夫婦で外食。年末は4人揃って南のリゾートで過ごすのが常だった。

「外目にはさぞ仲のいい親子に見えたでしょう。でも、内心はいつも憂鬱でパニック発作などを起こすことも」

 だから、たまたま手にした信田さよ子さんの著書『母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き』(春秋社)を読んだ時は衝撃だった。

「あ、私、これだ、と。ずっと苦しかった母と私の関係がなんだったのか、謎が解けた気がしました」

 愛や献身と思わされてきたものは、過干渉という支配ではなかったのか。

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