そして、ファシズムと異なるべきなのは、自粛を要請するのであれば、それに付随する社会的な補償はセットでなければならないということ。それを後回しにして「命が大事だ」と言い、安倍首相がマスクを2枚配ると言ったときは、誰もが驚いたのではないでしょうか。

 国家予算を割いて補償する、その代わり自粛はしてくれ、と。そういう図面を引かないといけないのに、精神論みたいな言葉だけが浮いて、コロナの恐怖を解消する具体的なものは何も出てこない。私たちは今、「正体不明の新型ウイルス」と「機能していない政府」という、二つの絶望を味わっているわけです。

 指導者の器が問われているのと同時に、われわれ国民のシビリアンとしての自覚も問われています。

 たとえば休校措置に関して学校差が出たり、成績が下がったりの問題があるという話が出ますが、これははたして本質なのか。市民的な自覚があれば、本質はまず感染拡大を抑えること。顕微鏡的な視点でばかり問題を見ていては本質が見えなくなる。これは市民に限らず国もメディアもそう。望遠鏡的な視点を持つことが今後より一層求められると考えます。

(本誌・秦正理)

週刊朝日  2020年5月22日号