足もとでは新型コロナウイルスへの対応で、マスクや人工呼吸器など必要な物資の増産が十分できていない。ものづくり大国のはずなのに製造業の底力が存分に発揮できないボトルネックがどこにあるのか。早急に官民あげてオールジャパンで対応を急ぐべきだ。

 いま世界で社会を支えている中間層が崩壊するかどうかの瀬戸際にある。もともと貧富の差が広がっていたところにコロナショックに襲われ、中間層は追い詰められている。これでは政治が不安定化し、大衆に迎合するポピュリズムが広がって、自国優先主義が高まってしまう。世界恐慌の後に自国優先のブロック経済が強まり、第2次世界大戦につながっていった状況に近づくのは恐ろしい。各国とも所得再分配を立て直し、中間層を守るための社会保障や雇用対策を充実させないといけない時だ。

 目下私たちにできるのは家にいることだが、その先では、弱い人たちを守るために負担も必要になるということを理解して欲しい。たいていの人は危機下に増税なんてとんでもない、と思うだろうが、みんなが広く薄く負担することで財政を持続可能なものにしたい。負担増を国民に受け入れてもらうのは政府の信用が前提。これまでのようにアベノミクスの名のもと、無駄なばらまき策を続けていたのでは信用を失う。

 コロナショックは世界経済や私たちの暮らしを大きく変えるだろう。グローバリズムを考え直すきっかけになるかもしれない。いまのグローバリズムは中国が世界貿易機関(WTO)に加盟した2001年から加速した。世界の貿易量も、人の往来も約3倍になった。世界中が近くなれば感染症も広がりやすくなる。急速なグローバリズムがこのパンデミックを起こしやすくした面もある。グローバリズムのスピードが速すぎたのではないか。

 今回が終わりではなく、これからも何年かに一度は感染症の問題が起きるかもしれない。そう考えると、訪日外国人を今年4千万人、30年には6千万人まで増やすという政府の観光立国目標も見直しを迫られるのではないか。

 要は経済成長のスピードそのものまで問われるということだ。日本はもう長らく低成長が続いているが、米国や欧州もコロナショック後には同じような状況になっていくだろう。先進国全体が低成長の時代をどう生きていくか、その行き方を今回問われている気がする。

 外出自粛で痛感するのは、人とのコミュニケーションがいかに大切かということ。テレワークで誰とも会わず、自宅で仕事を続けていると精神的につらくなる。ネットを通じて友人と飲み会をする人が出てきたのもその表れだろう。これからパンデミック・リスクも前提に社会をつくらないといけないのかもしれない。企業にはこんなときのための新技術、新サービスを開発することが求められる。テレワーク技術や在宅の高齢者支援サービスなど、この機に成長が見込める分野もある。危機を乗り越え、新しい社会づくりにみんなで参加していきたい。
(構成・写真 多田敏男)

※週刊朝日オンライン限定記事