「この中で公式のファーストレディは、金英淑氏でした。金日成主席のタイピストをしていた女性で、正日氏は父の勧めで結婚した経緯があるからです。長女の雪松(ソルソン)氏は、正恩が出てくるまでかなり政治に関わった実力者でした。けれども、浮気や不倫をくり返す正日氏に英淑氏はないがしろにされて表に出られなかった。成恵琳氏は映画俳優で、映画好きだった正日氏と恋に落ちたのです。恵琳氏は既婚者でしたから、略奪婚になります。日成氏が激怒して反対したから、公式には認められない結婚だったのです」

 恵琳氏が02年に亡くなると、この時期に合わせて高容姫氏の“神聖化”が始まるのである。容姫氏は平壌の「万寿台(マンスデ)芸術団」の踊り子に抜擢され、正日氏に見初められた人物だ。この容姫氏を後押しする勢力が、金正男氏を後見する勢力を制し、容姫氏を称賛するキャンペーンが大々的に行われた。

「その過程で、朝鮮人民軍が極秘文書を作成します。『尊敬するお母さまは、敬愛する(金正日)最高司令官同志に限りなく忠実な忠臣の中の忠臣であられます』という長いタイトルです。この『尊敬するお母さま』が容姫氏を指し、この文書は正恩氏を後継者にするための布告になりました」

 公式の存在となった容姫氏だが、それから間もない04年に死去した。容姫氏が在日コリアンだったことはよく知られている。戦前、両親が済州島から渡日。容姫氏は1952年に大阪・鶴橋で生まれた。幼いころに、在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)が推進した帰還事業で北朝鮮に帰国している。在日コリアンたちは北朝鮮が「地上の楽園」と信じて渡航したが、実態はあまりにも落差があった。

「北朝鮮は、帰国在日コリアンを『動揺階層』と位置づけ、監視対象にしました。日本の社会に触れて危険な思想を持っているというわけです。帰国した同胞を『帰胞(キッポウ)』と呼び、ずっと北朝鮮社会の中で差別されてきたのです」

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継承をめぐる権力闘争