「B‐1Bは、わざわざ元山の沖合800キロくらいのところまで飛んで行っているのです。22日だけではなく、29日にも日本にB‐1B2機が来たそうです。正恩氏が死去すれば不測の事態もあり得ると踏んで、米軍は北東アジア地域における抑止力を誇示する意味でも軍事挑発的な行動を起こしたようです。同時に、米軍の駐留経費の負担額の大幅増を求めている韓国と日本に対するアピールもあったのでしょう。B‐1Bを米本土から日本まで飛ばすだけで、1機当たり20万ドルもかかるそうです。米軍は経費削減を理由にこの4月半ば、グアムに循環配備していた爆撃機B‐52を本土へ永久撤収しているのに、こんな無駄遣いをしているのです」

 不可解だったのは、米軍の軍事パフォーマンスに対し、北朝鮮が無反応で、いつものように非難声明を出さなかったことだ。

「正恩氏が雲隠れを徹底させたためなのか。ともかく正恩氏に関する情報はでたらめだらけで、米軍の情報収集力が思いのほか低いことが露呈しました」

 一方で、もし正恩氏の身に何かあった場合、後継者は妹の与正氏になるのがほぼ確実視されている。正恩氏には子どもが3人いるというが、第一子の長男がまだ10歳くらいだと見られている。正恩氏の実子が成長するまでの間、与正氏が執権する可能性が高いだろう。ちなみに実兄の正哲氏は、英国のミュージシャンであるエリック・クラプトンのファンで知られ、ギターに夢中。ナイーブな性格で、政治にはまったく関心がないといわれている。

 与正氏が初めて表舞台に立ったのは11年12月、父・正日総書記の葬儀の場だった。国際的に注目を浴びたのが、18年2月の韓国で開催された平昌冬季五輪だ。正恩氏の特使として訪韓。韓国国内で好感度が上がり、南北融和ムードを演出した。

 今回、正恩氏は雲隠れの直前、与正氏の地位を向上させている。与正氏は19年2月にベトナムで行われた2度目の米朝首脳会談が不調に終わったことで、責任を取らされる形で政治局員候補を解任されていた。だが今回、4月11日に正恩氏が参加して行われた労働党政治局会議で、与正氏は政治局員候補に再選されたのである。その日を境に正恩氏は姿を消し、翌12日の最高人民会議(国会)を欠席した。

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はじまった与正氏の”神格化”