・清原和博(西武巨人オリックス)52歳

 名門・PL学園高(大阪)で1年から4番を務め、史上最多の甲子園春夏通算13本塁打をマーク。同級生・桑田真澄との「KKコンビ」は社会現象になり、85年秋のドラフトで動向が注目された。

 清原は巨人入りを熱望していた。だが、巨人が指名したのは早大進学を表明していた桑田だった。清原は6球団が競合して西武が交渉権を獲得したが、巨人が指名しなかったことにショックを受けて入団会見で涙を流した。

 西武入団後は黄金期の4番として活躍し、96年オフに巨人へフリーエージェント(FA)移籍。憧れていた球団のユニホームに袖を通したが、故障の影響もあって苦しんだ時期が長かった。2005年オフに戦力外通告を受け、オリックスで3年間プレーして08年限りで現役引退。打撃タイトルに縁はなかったが、通算打率2割7分2厘、525本塁打、1530打点は立派な数字だ。

・元木大介(巨人)48歳

 上宮高(大阪)でスラッガーとして高校通算24本塁打をマーク。甲子園6本塁打は清原に次ぐ歴代2位タイで、端正な顔立ちから「甲子園のアイドル」として女性ファンに大人気だった。

 巨人入りを熱望していたが、89年秋のドラフトで巨人は慶大の大森剛を指名。元木はダイエーから野茂英雄の外れ1位で指名されたが入団を拒否し、ハワイに1年間野球留学した。

 翌90年秋のドラフト1位で巨人に入団。内野ならどこでも守れる器用さ、状況に応じた打撃技術と抜群の野球センスで、当時の長嶋茂雄監督(現・巨人終身名誉監督)から「くせ者」と称された。通算打率2割6分2厘、66本塁打、378打点。現役引退後はバラエティータレントとして活躍し、現在は巨人の1軍ヘッドコーチを務める。

・内海哲也(巨人、西武)38歳

 敦賀気比高(福井)で左腕エースとして名をはせた。祖父は巨人で野手だった内海五十雄。そんな理由もあり、00年秋のドラフト前に巨人以外からの指名は拒否することを表明。オリックスが1位指名したため入団拒否し、社会人野球・東京ガスに進んだ。

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新天地で復活を目指す