オリジナルとその「パクリ」について論じる増田聡は、「他人の音楽を元にしつつ、それを変形させて次へと渡していくというプロセスによってブルースやフォークといった音楽は発展してきた。そのことと、著作権上のクレジットというのは基本的に異なるロジックに属しています」と明快に述べる。

 デヴィッド・ボウイの「ライフ・オン・マーズ?」の歌詞で、なぜねずみが溢れているのかを分析する細馬宏通は、「人間なんか滅んでしまってねずみだけがたくさんいる世界を想像しているのではないでしょうか」と書く。

 輪島裕介は、日本語をあたかも英語のように歌う「カタコト歌謡」と環太平洋というテーマのなかで、ディック・ミネの「ダイナ」(1934年)を取りあげている。日本語話者ならばすぐに理解されるように、ディック・ミネこと三根耕一(徳島県出身)が意図的に日本語を英語風に発音していることの、特に海外での説明しがたさ、国内でのフェティッシュな愛好のされ方を指摘している。「ダイナ」、ガチガチの英語風の発音に思わず笑ってしまうけれど、いい曲だなぁとも思う。

 いま、評者は自宅でこの原稿を書いている。原稿書きが仕事だから普段から自宅で仕事しているのだろう、と思われるかもしれないが、そうではない。自宅にいようが、今の時代的閉塞感は半端ない。それはどの仕事でも同じなのではないか。で、前述のサブスク(定額制サービス)で、ドレイクの「ホットライン・ブリング」を聴きながら原稿を書く。気になって、どんなヤツなのか、動画サイトで確認する。この本の中で「もう踊るなら踊る、立つなら立つではっきりしろよ」とライターの渡辺志保が書いている。思わず噴き出してしまう。そして気分がぐっとあがる。

 時代閉塞の現状にこそ、音楽を。そう思わせる一冊。

週刊朝日  2020年5月8‐15日号