──嫌気がさしたと?

真田「意識的にアクションを避けて、出演作を選ぶようにしました。すると真田はシリアスな俳優をめざしているのか、みたいなことも言われました。自分では変わっていなかったのですが。人に様々な名前で呼ばれ、いろんなキャッチフレーズが付きましたが、自分ではそれは正確ではないと常に感じていました。常に次は何をしようか、と自分の中でも模索が続きました。自分のキャリアや位置を活用して、日本人としてのメッセージが伝えられればと感じてきました。長いキャリアの中で自分はずいぶん変わったと思います。ですからジョニーの立場、ジョニーの将来への思いも理解できるのです」

──あなたの水俣に関する記憶はどんなものですか?

真田「まだ子どものころのことだったので、テレビのニュースで観たことをうっすら覚えているだけで、詳しいことは知りませんでした。そのニュースにしても、あたりさわりのない報道だったような気がします。政府の反応を気にしていたような。だからこそ今回の脚本を読んで、またリサーチをして、ショックを受けました。ニュースで知った気になっていたが、自分は実態を知らなかったのだと気が付いたのです。そして自分の問題として考え直す機会となった。同時に若い世代にも知ってもらいたかった。過去を知り、同じ失敗をおかさない教訓になればと思います。将来のために」

──福島の問題とは異なる状況でしょうか?

真田「福島についての会話はずっと今も続いています。この点は水俣とは若干異なるかもしれません。福島についての映画も制作されました。忘れてはいけない、と多くの人が感じています。住民の人を含めて」

──ジョニー・デップは想像していたとおりの人でしたか?

真田「毎日脚本が変わったのは大変でしたが、楽しい撮影でした。ジョニーは想像とは全然違っていて、とても穏やかで平穏な人でした。エキストラを含め、誰に対してもとても優しい。そのせいで撮影現場はとても素晴らしい雰囲気がありました。撮影のない週末には一緒にお酒を飲んだり、楽しかったです。特にジョニーがギターを弾きながら歌ってくれたのはとても良い思い出です」

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