皆「ありませーん!」

私「……コルクを抜いたことは……」

皆「ありませーん!」

私「……わかった! 静かにしろ! 一つずつやっていこう。まずは缶切りだ。まず缶詰は陳列されているとき上面に埃が溜まってる恐れもあり、また中のモノもよく混ざるので逆さにして下面を上にします」。ここは正解かわからないけど私の持論。

私「この缶切りの刃。正面にフックがあります。ここを缶詰のフチに引っかけます。そしてズレないように、刃をグッと缶に差し込みます」。煮豆の汁が飛び出した。「わー、お汁が!」と一同。

私「慌てるなっ!! こんなモノは後で拭けばいいっ!! そして刃を、グッグッと、切り進めますっ!」。缶を華麗に切りだす父。固唾をのんで見守る子。どうだ。コロナのせいで仕事は減ったが、子どもとの触れ合いが増えた。煮豆の缶を切る感触と共に父の威厳がみるみる回復していくのがよくわかる。目を見開いた娘が口にした。そうさ。「お父さんスゴイっ!」って言っていいんだぜ……。

娘「バックで進んでるーーっっ!!!」。そこか!? いや、そうだけど。そこか、娘よ……。「缶切りはバックで進む」とコロナが娘に教えてくれた。ちっちゃいけれど大事なことさ。

週刊朝日  2020年5月1日号

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春風亭一之輔

春風亭一之輔

春風亭一之輔(しゅんぷうてい・いちのすけ)/落語家。1978年、千葉県生まれ。得意ネタは初天神、粗忽の釘、笠碁、欠伸指南など。趣味は程をわきまえた飲酒、映画・芝居鑑賞、徒歩による散策、喫茶店めぐり、洗濯。この連載をまとめたエッセー集『いちのすけのまくら』『まくらが来りて笛を吹く』『まくらの森の満開の下』(朝日新聞出版)が絶賛発売中。ぜひ!

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