セトウチさんも僕もそうですがとっくに外出自粛をしています。人も訪ねてきません。アトリエは防空壕(ごう)のようなものです。とかなんとかいって、ジッとしておりましょうよ。そして獄中記を書くように、この往復書簡を書き続けましょう。

 今日、セトウチさんから電話をもらって、いつもの元気な声が聴こえて嬉(うれ)しく思いました。「アッ」とか「ウン」とかのセトウチさんの感嘆符しか聴こえませんでした。セトウチさんは「よう聴こえるわよ」と言っていましたが、耳は聴こえなくてもしゃべれます。「アッ」と「ウン」以外の長い言葉は戦時中の短波放送みたいで、とぎれ、とぎれの単語しかわかりません。あとは波動で感じ、想像するだけです。

 今、僕は立って描くほどの大きい絵を描いています。身体を動かすために大きいキャンバスを用意しました。手が痛いので、筆ではなくハケを握りしめて、キャンバスに叩(たた)きつけるような、チンパンジーとそう変わらない程度の無茶苦茶(むちゃくちゃ)な絵を描いています。これも肉体が老朽化してきたおかげでやっと到達した境地です。セトウチさんは「それでも人は上手だと思うよ」(そう聞こえた)とおっしゃった。「ハイ、人は、ついに悟ったか、と勘違いするかも知れません」。まあ、今日はこんなとこです。

■瀬戸内寂聴「死んだふり 誰が本気で泣いてくれるか見たい」

 ヨコオさん

 スゴイ! スゴイ!

 立って描くほどの大きい絵を描き始めたヨコオさんに乾杯!

 筆ではなくハケを握りしめて、全身でキャンバスにとびかかっているヨコオさんを想像しただけで、胸が湧き立ちます。まだまだヨコオさんは若くて、力があふれていますね。

 私は、もうさっぱりですよ。締切に追われて、相変わらず、机にしがみついているものの、躰(からだ)の右半分が痛くて、ペンを持つ指がしびれて、原稿用紙にうまく字が収まりません。考えてみたら、原稿用紙に字を埋めて、食べてきた年月は、七十二年になります。その間、右掌だけを使いつづけたので、今となって躰の右半分に凝りがかたまってしまったのでしょう。

 眼も右はダメになり、ずっと左眼だけで書き続けています。

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