林:そんなに貧乏だったら、たとえば成人になると同時にキャバレーで働いて、そのまま“お水”の谷に埋もれてしまうみたいな人生だったかもしれないのに、新聞配達しながら自分の夢をかなえるって、なかなかできることじゃないですよ。

アン ミカ:私たちきょうだいは両親に恵まれてました。その子の個性に応じたハードルを用意してくれて、乗り越えたら次のハードル、また次……という感じでうまく種をまいてくれたんですよ。「♪こっちの水はあ~まいぞ」みたいに。

林:素晴らしいです。

アン ミカ:特に母が素晴らしかったです。姉は貧乏ゆすりする子で、母は「音感がいい。ブラスバンドに入ってパーカッションやれば?」と言ったり、お兄ちゃんは弁が立つし責任感が強いので、「法律を学べば?」と言ったり、私はいつも鏡を見てるから、「モデルさんがいいんじゃない?」と言ったり。結局、姉は歯科衛生士ですが趣味でサルサの先生をやって、兄は行政書士をやって、みんな国家資格を持っているんです。

林:すごいですね。

アン ミカ:すごい貧乏だったけど、明るい貧乏だったんです。ひもじさがまったくない貧乏で、母は貧乏を楽しむ天才だったんです。

林:でも、とうとう正統派イケメンのご主人があらわれたわけですね。白馬に乗った白人の王子さまが。

アン ミカ:ありがたいです。それまで恋愛も不器用で……。

林:知らないで国際的なスパイとつき合っちゃったりしたんですよね。

アン ミカ:そうなんです(笑)。恋愛は一生懸命すぎて、「重い、重い」って言われてたんですけど、旦那さま(イベント企画・制作会社社長)はそんな私をおもしろがってくれたというか。

林:ご主人、すごいハンサムだし、お兄さんはアカデミー賞の監督賞にもノミネートされたハリウッドの映画監督なんでしょう? そういう方がなんで日本に来たんですか。

アン ミカ:彼のお母さんが画家で、日本画が家にいっぱいあって、庭遊びも枯山水をつくったりする変わった子どもだったらしくて、19歳で日本に来たんです。

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