中山さんは30日、所属事務所を通じて追悼のコメントを発表した。

「信じられません、言葉にもなりません。仕事も遊び方も、全てに師匠らしさがありました。そばにいて学ばせていただいた事すべて、感謝しかございません。哀愁があるから笑いになると仰った言葉、生涯忘れません。謹んでご冥福をお祈り申し上げます」

 また、志村さんの「東村山音頭」で有名になった、出身地でもある東京都東村山市の渡部尚市長は、自身のフェイスブックで、こう追悼した。

「東京オリンピックの聖火リレーのランナーをお願いしていましたので、来年元気に走っていただくことを、東村山15万市民と共にお祈りしていました。
 もう志村けんさんの『東村山音頭』を二度と見ることができないと思うと、残念でなりません。
 改めて、哀悼の誠を捧げ、ご冥福をお祈りいたします。
 けんさん、東村山の名前を全国に広めて下さり、また長年お笑いで全国の多くの方を元気にして下さり有難うございました。
 どうか安らかにお休み下さい」

 志村さんの所属事務所によると、17日に倦怠(けんたい)感を覚え、19日に発熱・呼吸困難の症状が出た。20日に都内の病院に搬送されて入院。23日夜に検査で陽性が判明した。病院を転院し、新型コロナに罹患(りかん)した患者を救命する人工心肺装置「体外式膜型人工肺(ECMO=エクモ)」による治療を受け、闘病していた。

 ウイルスとの戦いを含めて、喜劇王の生涯は語られていくだろう。(本誌・上田耕司)

※週刊朝日オンライン限定記事

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上田耕司

上田耕司

福井県出身。大学を卒業後、ファッション業界で記者デビュー。20代後半から大手出版社の雑誌に転身。学年誌から週刊誌、飲食・旅行に至るまで幅広い分野の編集部を経験。その後、いくつかの出版社勤務を経て、現職。

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