志村けんさん(C)朝日新聞社
志村けんさん(C)朝日新聞社

 新型コロナウイルスに感染し、重度の肺炎で東京都内の病院に入院していたお笑いタレントの志村けん(本名・志村康徳)さんが、3月29日午後11時10分に死去した。70歳だった。遺族の意向により、葬儀は近親者で行う。お別れの会を開催するかどうかについては、遺族と相談して決めるという。所属事務所が30日に発表した。

【写真】志村けんさんも治療に使っていたという人工肺「ECMO」

 志村さんは17日、倦怠(けんたい)感を覚えて自宅で療養。19日に発熱・呼吸困難の症状が出たという。20日に訪問診察をした医師の判断で都内の病院に搬送され、重度の肺炎と診断されて入院した。23日夜に検査で感染が確認された。感染経路については不明。ただ、濃厚接触者の特定はすでに終わり、対象者は自宅待機しているという。

 愛煙家だった。16年には、大阪市での主演舞台「志村魂」の公演期間中に体調を崩し、肺炎と診断されて入院。舞台が中止になったこともある。

 志村さんは東京都東村山市生まれ。ザ・ドリフターズには、付き人を経て、1974年春に故・荒井注さんに代わってメンバー入りした。故・いかりや長介さんや加藤茶さん、仲本工事さん、高木ブーさんと出演したTBS系「8時だョ!全員集合」で、出身地の「東村山音頭」を歌ってブレークした。その後も「ヒゲダンス」「カラスの勝手でしょ」など繰り出すギャグを次々とヒットさせ、ドリフの大黒柱に成長した。

 85年に全員集合が終了した後も、「バカ殿」や「変なおじさん」「アイーン」などのギャグを連発し、人気を博した。

 朝日新聞のインタビューではかつて、こう答えていた。

「僕は芸人としてまだまだだと思うし、そもそもお笑いに『もうこれでいい』ということはありえないから」

「コントは一生続けるだろうね。僕は芸人としてまだまだだと思うし、そもそもお笑いに『もうこれでいい』ということはありえないから」

 一方、お笑いタレント以外でも、俳優や声優として活動の幅を広げていた。1999年に映画「鉄道員(ぽっぽや)」に炭鉱労働者役で出演し、舞台「志村魂」の活動にも力を入れた。

 入院する前には、日本テレビ系「天才!志村どうぶつ園」や、フジテレビ系「志村でナイト」に出演。NHKの連続テレビ小説「エール」にも出演を予定し、6日の撮影に参加していた。映画初の主演が決まっていた「キネマの神様」(山田洋次監督)では、26日に出演の取りやめを発表してした。(本誌取材班)

※週刊朝日オンライン限定記事