「どうして彼は帰って来ないの? もう1時間も経つわよ」「またエライ目にあっているんだと思いますよ」とデタラメなことを言うと、セトウチさんは頭から毛布を被ったまま、毛布の中で一生懸命、観音経だかをあげていました。

 そのうち添乗員は真赤な顔をしてフラフラになって帰って来ました。セトウチさん「どうしたの、病気?」「いや、そーじゃないです、コックピットの中に入れてもらってパイロット達と一緒に酒を飲んでいたんですよ」

 セトウチさんも真赤になって怒りましたよね。あんなこと今だったら新聞ダネになって「瀬戸内寂聴一行の添乗員、パイロットとコックピットで泥酔!」なんて、朝のワイドショーのニュースになったかも知れませんね。まあ、のんきな時代の、のんきなインドの旅でした。

 セトウチさんとの旅行は予定通りに行かないことばかりで、2人のどちらに責任があるのか知らないけれど、変ちくりんなことだらけでした。どうも2人が何かをすると、こういう事態が発生するみたいです。芸術の創造と破壊が起こるようです。

 死後の世界って、きっとこんなことの連続で面白いかも知れませんね。小説や絵がそのまま現実になるのがあっちの世界です。こちらで面白いことが起こるということは、半分向こうへ行っているのかもね。ではまた来週

■瀬戸内寂聴「あの勝手な事件男は他界、ケロッと帰らないかな」

 ヨコオさん

 今年の春の早いこと! 今朝、気がついたら寂庵の桜が大空に広がり、まるで幕をかけたように、びっしり花をつけていました。寂庵の桜はしだれで、いつの間にか大木になり、道の遠くからでも、華やかによく見えます。

 毎年、花祭りを賑やかにするのですが、今年は「コロナ」のせいで、すべての寂庵の行事は中止にしたので、淋(さび)しいけれど、静かな花祭りとなりました。

 出入りの編集者さんたちも、出社せず、家で仕事をしている様子です。

 私は相変わらず、食べて寝て、夜中も本を読み、妄想をあたため、夢のように自分の小説を思い描いています。と、言うことは、書いてはいない、頭の中で考えるだけということで、一作も現物はありません。

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