もしも、非常用発電装置が地上6メートル以上に取り付けられていたら、どの原子炉も無事で、爆発事故は起きなかったのである。

 明治期に入ってから、地震が生じて津波が襲ってきても、高さは10メートル以下だった。そのため、福島第一原発の防波堤は10メートルであった。ところが、2008年に社内の試算で、約1200年前の貞観(じょうがん)地震の時には15メートルの津波が襲ったことがわかっていたのである。それにもかかわらず、なぜ東電は15メートルの津波を防ぐ防波堤に直さなかったのか。

 事故後に就任した新社長に問うと、

「防波堤を高くしなければとは考えていたのだが、膨大な費用がかかるので、そのうちにと思っている間に津波に襲われてしまったのだ」

 と答えた。

 第二の敗戦後、フィンランドのオンカロ(使用済み核燃料を保存する、地下500メートルのところに設けられた施設)を見学した小泉純一郎元首相は、オンカロに保存した使用済み核燃料が無害化するのに10万年かかると聞いて、原発ゼロを強調するようになった。

 ところが、日本にはそのオンカロはなく、オンカロがつくれる見込みもついていない。それにもかかわらず、日本政府は原発を新設する計画を決めている。このことは、どう捉えればいいのか。

週刊朝日  2020年3月27日号

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田原総一朗

田原総一朗

田原総一朗(たはら・そういちろう)/1934年、滋賀県生まれ。60年、早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社。64年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。77年にフリーに。テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。98年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。早稲田大学特命教授を歴任する(2017年3月まで)。 現在、「大隈塾」塾頭を務める。『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)、『激論!クロスファイア』(BS朝日)の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数

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