産まれた時、産婆さんは、「この子は一年と持つまい」と言ったそうです。この原稿のため調べたところによれば、私の産まれた大正十一年(一九二二)の二年前まで、今、はやっているような狂暴なかぜが世界に吹き荒れ、スペイン風邪と呼ばれたそうです。日本でも沢山(たくさん)の人や子供が死んだそうです。産婆さんが、「この子は長く生きない」など、あっさり言っても、気にならない空気だったのでしょう。この産婆さんの予言は当たらなかったものの、私は幼時から偏食で、肉も魚も野菜もきらいで、煮豆ばかり食べていました。母は、どうせ育たない子だからと、不憫(ふびん)がり、私の偏食を直そうともしませんでした。

 はしかをしくじったとかで、私は幼時、いつでも全身、吹出(ふきで)ものにまみれ、痒(かゆ)がり引っ掻(か)いては、ひいひい泣いていました。小学校に上がってもおできに臭い薬をつけ頭にほうたいをしていました。いじめられなかったのは、勉強がクラス一番だったからです。病気もよくしました。ヨコオさんほどではなかったでしょうけど、年じゅう、体のどこかが不調でした。物心ついた時から快適には無縁だったので、病気を怖(おそ)れる気は全くなく、病気で学校を休むのが、何よりの楽しみでした。

 それでも死にもせず、東京女子大に学んだ時、新聞広告を見て、大阪と神戸の境にある断食の療養所に飛び込みました。そこで四十日間の断食をして、出山釈迦そっくりになって女子大の寮に戻りました。そこで完全な断食の方法を覚えたことは、その後の私の生涯に、ずいぶん役に立っています。私はたいがいの病気は断食で治してしまいます。「がん」には断食はよくないようです。断食は元食に戻る時が大変ですが、食べないのは、すぐ馴(な)れます。二十歳の時の断食のせいで、百まで生きたら、自業自得とは言え、困ったものです。

 それにしても現在勢いを増しているコロナウイルスは困りものですね。寂庵では法話も写経もすべて中止して、私はじっと死んだ虫のようにおとなしく、庵を一歩も出ません。

 ヨコオさんも、お好きな入院でもして、御無事にお過ごしくださいね。では、また。

週刊朝日  2020年3月13日号