セトウチさんは、あと1年で100歳で、昔はきんさんぎんさんぐらいしか目立たなかった100歳以上の人は今では7万人位いるんですよ。男性より女性の方が長寿者は圧倒的に多いですが、この間亡くなったアメリカの俳優カーク・ダグラスは男で103歳でした。これからの社会は100歳など珍しくもない年齢で、その内100歳未満で死ぬと、早いねえ、とか若いねえ、と誰も相手にしてくれない時代が、もう目の前に来ているような気もします。

 30歳未満で死ぬと夭折(ようせつ)の天才画家と呼ばれた時代はもう原始時代の話になりかけています。今年6月で僕は84歳です。80代で死ぬと「早や死にやったねえ、ヨコオさんは」と言われるかも知れません。僕は虚弱体質で子供の頃から病気ばかりして、今でも年に一回は入院します。それに代わってセトウチさんは日本中が驚いています。平均寿命が100歳越すよう努力、貢献して下さい。この書簡集が何冊も出るほど書きまくって下さい。僕はシンドイけれどセトウチさんならいけます。

■瀬戸内寂聴「百歳前に困った 夭逝に憧れた私なのに」

 ヨコオさん

 どうやら、私は、百歳を迎えても死なないような気がして困っています。なぜ困るかと言えば、私は少女時代から夭逝(ようせい)に憧れていたからです。五歳年長の姉と二人姉妹だったので、文学少女の姉の影響を受けて、私も早くから文学幼女になっていました。立派な詩人や画家は早く死ぬものと、思いこんでいました。自分に何の才能もないのに、憧れの詩人や画家のように、夭逝したいと思いこんでいました。幼い時から老人は好きではありませんでした。

 私が産(う)まれた時、とても可愛がってくれたという父の母、私のおばあちゃんは、亡くなっていて、話に聞くだけでした。時々神戸から来るおばあちゃんは、ハイカラさんで、クリスチャンで、いつも徳島には見かけない洋菓子を持ってきてくれました。このハイカラ婆(ばあ)ちゃんを私は老人と思っていませんでした。近所の婆ちゃんかじいちゃんは、みんな薄汚く、子供に怒りっぽくきらいでした。私はあんな汚い年寄になるより、早く死にたいと子供心に思ったようです。

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