林:確かにバブルも経験してるし、そのあとの停滞して淀んだ感じも知ってる。バブルのあと、隈さんは地方の建築を多数手がけられましたね。それが今の実力というか、体力をつくったみたいに言われてますけど、そうなんですか。
隈:90年に事務所を始めてすぐに、30代の人間には来ないような大きな仕事も来たんだけど、急にバブルが崩壊したから、ある種挫折して、地方回りを始めた。その中で、地方で職人たちに土の塗り方を教わったり、木の使い方も教わったの。それがあとにつながってるわけ。僕は幸い地方にいい友達が見つかって、小さくて地味な仕事の中にある楽しみを見つけたのが大きかった。
林:今となっては、根津美術館も、歌舞伎座も、目立つものはみんな隈さんがやってるような気がします。
隈:歌舞伎座の建て直しなんかも、「目立つものをつくってほしい」というんじゃなくて、「昔からの歌舞伎の精神を受け継ぐ建物をつくってほしい」という、どっちかというと地味なデザインが求められた。
林:そうなんですか。
隈:根津美術館も、根津(公一・館長)さんから「目立つものじゃなくて、庭と調和するようなおとなしいものをつくってほしい」と言われたし、今の時代のニーズはそっちです。形が目立つような80年代的なものじゃなくて。
(構成/本誌・松岡かすみ、編集協力/一木俊雄)
※週刊朝日 2020年3月13日号より抜粋