三田佳子(みた・よしこ 左)女優。1941年、大阪府生まれ。60年、女子美術大学付属高校卒業と同時に東映に入社。以後、日本を代表する女優のひとりとして活躍を続けている。2017年日本放送協会放送文化賞/佐藤愛子(さとう・あいこ)作家。1923年、大阪府生まれ。69年『戦いすんで日が暮れて』で直木賞。2000年に『血脈』完結で菊池寛賞。15年『晩鐘』で紫式部文学賞。16年刊の『九十歳。何がめでたい』は120万部のベストセラーに (撮影/工藤隆太郎)
三田佳子(みた・よしこ 左)女優。1941年、大阪府生まれ。60年、女子美術大学付属高校卒業と同時に東映に入社。以後、日本を代表する女優のひとりとして活躍を続けている。2017年日本放送協会放送文化賞/佐藤愛子(さとう・あいこ)作家。1923年、大阪府生まれ。69年『戦いすんで日が暮れて』で直木賞。2000年に『血脈』完結で菊池寛賞。15年『晩鐘』で紫式部文学賞。16年刊の『九十歳。何がめでたい』は120万部のベストセラーに (撮影/工藤隆太郎)
三田佳子さん(左)と佐藤愛子さん  (撮影/工藤隆太郎)
三田佳子さん(左)と佐藤愛子さん  (撮影/工藤隆太郎)

 自分の子育てに後悔のない人間など、いないだろう。作家として、そして母親として生きてきた96歳の佐藤愛子さんと、女優として、そして母親として生きてきた78歳の三田佳子さんが自らの子育てを振り返る。子育てとは、親子の葛藤と闘いの歴史なのである。

【佐藤さんと三田さんのツーショット写真はこちら】

*  *  *

佐藤:私は子育てについて自慢できることは何もないですよ。思い出すと呵責ばっかりです。

三田:私こそ、自慢できることは何ひとつありません。

佐藤:私の元の夫が会社経営に失敗して、家を出ていったのは娘が小学2年生の暮れのことでした。亭主はお人好しでウソつきという厄介な男でね。その尻拭いをする羽目になって、収入もないのに借金の肩代わりをしてしまったんです。もう子どもの教育どころじゃない何年かでしたから、いま思うと可哀そうだったと思います。いまになって生活が落ち着いてみると、あのときもっとああしてやればよかった、こうしてやればよかったと思うばっかりで……。

三田:私もそうです。

佐藤:小学校の頃、「あなたもうそろそろ試験のシーズンじゃないの?」と聞いたら、「昨日終わった」ってケロリとしている。勉強してる姿なんか見たことなかったんだけれど、私はとにかく借金返しのことで頭はイッパイで……。出ていったくせにお金だけは借りに来る亭主とケンカしたり、小説は書かなきゃならないし、休息するなんてことは全くない日々でした。そんなふうだから成績がいいわけがない。だから通信簿に2とか1とかあっても、私は何も言えない。怒れない。仕方なく「テストの点数で人生は決まらない」とか、「あの遠藤周作さんだって、赤点ばかりとっていたそうだけど、偉い作家になったんだから」なんてごまかすしかなかったんです。

三田:ごまかしていらしたなんて。全然そんなことはないと思います。

佐藤:だいたい佐藤家というのは常識を無視する家風があって。私も親から勉強勉強って言われずに育ってますのでね。困った家風なんですよ。ですから、そういう点は娘もラクだったと思います。でも娘が母親を本当に必要としているときも、私が無関心だったことはいっぱいあったに違いないと思うのね。それに耐えていたのね、彼女は。それが呵責のもとです。

次のページ