柯夫人のつきあうのは、中国人ばかりだったので、日本人の私が近くに来たことを喜ばれ、柯夫人は、私に毎日のように遭いたがり、自分の日本名の藤子さんと呼ばれることを望まれました。

 藤子さんは親しくなると間もなく、自分がなぜ中国人と結婚し、身寄りのない中国に暮らしているかを話されました。

「スペインかぜをご存知(ぞんじ)? それは沢山(たくさん)の人たちが殺されたのよ。私の恋人で、もうすぐ結婚することになっていた人も、スペインかぜで、あっけなく死んでしまいました。跡を追いたいと嘆き悲しんでいた私を、全身全霊で慰めてくれたのが、中国人の留学生の柯でした。彼の誠実な求愛に、半分やけになっていた私は応じ、身寄りもいない北京へ、嫁いできたのです。夫は、誠実で優しくて、二人産れた娘の、理想の父親でした。今、私はごらんの通り幸せ者です。でも、あのスペインかぜがなかったらと、ふっと思わないことは今でもありませんよ」

 夫人の両眼に、みるみるたまった涙のきらめきを、今でも忘れることはありません。

「かぜ」一つでも人間の生涯がいくつも狂わされることがあるのです。お互い気をつけましょうね。

 寂庵は、益々(ますます)美しく華やかな庭になっています。梅は、白、桃、黒と咲き揃(そろ)い、今朝は待ちかねていた、まんさくがぱっと開き、金色の灯がともったような明るさです。

 座敷には、七段のお雛(ひな)さまが飾られて賑(にぎ)やかです。これを飾りながら、ふっと「これも最期かな」と想いました。

 そう想うことはいっこうに昏くはなく、何かしら「安らぎ」さえあるのです。訪ねてくれた人を見送る時も、同じことばを腹の中でつぶやいています。

 それにしても、体力はすっかり鈍りました。

 五十代のはじめ、比叡山で、三十代の青年たちと一緒に、荒行をしたあの体力は、どこに消えたのでしょう。

 さて、「スペインかぜ」の死亡者は、画家ではグスタフ・クリムトやエゴン・シーレ。日本人画家では村山槐多ですって。

 お互い、こんなことで、後世に名を残さないようにしたいものですね。

 それにしても、早く春が来ないかな、れんげに、たんぽぽ、つくしんぼ! ワーイ!

週刊朝日  2020年2月28日号