ナイターに備えて当時の後楽園球場の記者席に着くと、解説者となったかつてのスター選手がくる。大抵は手ブラか大学ノート一冊だが、野村さんはピッチャーが投げる一球ごとの球種やコースを書ける、運動部の記者と同じスコア・ブックを持参する。

 公式戦が始まる前、巨人のオープン戦を記者席で並んで見ていた時のこと。巨人のピッチャーは、確か剛腕左腕の新浦だった。

 一塁に走者が出ると、隣の野村さんが「ストップ」とか「ゴー」とつぶやくので、どういう意味か聞くと、「ストップ」と言うのは新浦が一塁に牽制(けんせい)球を投げる時で、「ゴー」と言うのは、打者に向かって投球する、「盗塁できるぞ」と言う時である。

 野村さんに言わせると、新浦は打者に投げる時と牽制する時とでは、首スジにクセが出るので、注意深く見ていれば、盗塁は簡単にできるという説明だった。

 ペナント・レースが始まると、野村邸にいって、一緒に球場に入る。原・現巨人監督がプロ野球に入った年で、人気を集めていた。

「原はボールを怖がる。内角の厳しいところに投げれば腰を退く。次に外角に投げておけば空振りする。2、3球で料理できる」

 と言うので、その通りに書くと、プロ野球ファンの間で注目されたらしい。この回あたりから、連載が話題になるようになった。

 その頃の私の日課は、夕方野村さんと記者席で野球を見て、終わると野村さんが契約しているサンケイスポーツの取材がすむのを待って、後楽園球場近くの喫茶店に入る。

 席に着くなり野村さんは自宅に電話をして沙知代夫人に「川村さんと、これこれの店でコーヒーを飲んでいる」と、伝える。

 すると折り返し夫人から席に電話が入り、夫が私といるのかどうか、確かめるのが恒例になっていた。

 コーヒーをすませて当時東横線の都立大学駅の近くにあった野村邸にゆく。遅い夕飯が済むと、テレビがプロ野球ニュースの時間になる。

 テレビの画面にその日のプロ野球が出ると、野村さんは、目が画面にクギ付けになり、心、ここにあらずで、ダンマリを決めこむ。当方は、じっと待つしかない。

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