2004年アテネ五輪競泳男子100メートル平泳ぎで優勝した北島康介(C)朝日新聞社
2004年アテネ五輪競泳男子100メートル平泳ぎで優勝した北島康介(C)朝日新聞社
「ベストレースは北京の100メートル決勝」と語る北島康介さん=撮影・片山菜穂子(写真部)
「ベストレースは北京の100メートル決勝」と語る北島康介さん=撮影・片山菜穂子(写真部)

 2020年東京五輪の開会式まで約5カ月、聖火リレーまで約1カ月となった。08年北京五輪で日本競泳史上初の2大会連続2冠を達成した北島康介さん(37)に、五輪とはどんな大会だったのかを聞いた。

【写真】「ベストレースは北京の100メートル決勝」と語る北島康介さん

──記憶に残っている最初の五輪は?

 小4の夏、10歳になる前に見たバルセロナ大会(1992年)です。選手は必ず五輪を意識する瞬間ってあると思うんです。五輪選手ってすごいなあというあこがれから、なりたいという夢を抱いて頑張るようになる。自分にとって、そのきっかけになったのが、バルセロナ五輪でした。

──96年アトランタ五輪終了後、東京スイミングセンターで平井伯昌コーチの指導を受け始めます。

 中2でした。平井先生から「オリンピックに行きたいか」と言われて、自分の中では簡単じゃないと思っていましたが、一緒になって先導してくれるコーチと出会えたことが、僕の水泳人生を大きく変えました。いい指導者に巡り合えたことは、奇跡のようなものに思えます。
 練習はきつくて、コーチに対する反発心もなくはなかった。それでも成績が上がって、平井先生の言っていることを聞けば俺は必ずもっと強くなれる、という忠誠心のような気持ちも生まれてきました。

──高3の2000年日本選手権で100メートル平泳ぎに初優勝して、シドニー五輪出場を決めました。

 すごくうれしかったですね。こんなに短期間で夢をつかむことができるんだって。感じたことのない緊張感もあって、(シドニー五輪の)100メートルの予選では、手が震えてキャップがなかなかかぶれなかった。それが思い出ですね、そんな自分がいるんだ、と。スタートもミスるし(笑)。

──100メートルは準決勝で日本新を出して、決勝は4位でした。

 世界との距離が明確になった大会でした。メダルが取れなかった悔しさがあったからこそ、次は絶対にメダルを取る、という強い気持ちが生まれました。

──ここから一気に世界のトップに駆け上がります。01年福岡世界選手権の200メートルで銅メダル、02年釜山アジア大会の200メートルで初めて世界新を出して、03年バルセロナ世界選手権で100メートルと200メートルの2冠のときは、ともに世界新という快挙でした。

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秦正理

秦正理

ニュース週刊誌「AERA」記者。増刊「甲子園」の編集を週刊朝日時代から長年担当中。高校野球、バスケットボール、五輪など、スポーツを中心に増刊の編集にも携わっています。

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