彼女は東京女子大の私の二、三年下の学生でしたが、在学時は、全く無関係でした。在学時代から、ずば抜けた秀才だったということでした。太郎さんは本を次々出版していますが、それは、太郎さんが喋るのを敏子さんがすべて聞きとり、見事な文章に仕上げるのでした。

 青山の太郎さんのアトリエ兼住居は、親の一平、かの子の時代からの住所でした。私が毎日のように出入りしていた頃は、横長の階下が応接間兼、太郎さんの絵や文筆の仕事場でした。棲(す)み込みのお手伝いのよしえさんの仕事場(台所)や寝室もありました。二階は、太郎さんの寝室や、食堂、平野さんの部屋などでした。

 ある日、太郎さんが私に向かって、

「きみは、いつも和服を着ているから、畳の部屋がいいかい? 六畳がいい? 四畳半がいい?」

 と言い出しました。何でも、平野さんの仕事が多くなって大変なので、

「きみはまあ、文章も書けるから、ここへ来て、平野くんを手伝ってやってよ」

 と言うのです。そのため私の部屋を二階に造るとか。あわてて、私が断ると、

「バッカだなあ、ろくでもない小説家になるより、天下の天才の岡本太郎の秘書になる方が、ずっとすばらしいのに!」

 と言われました。それでも私は断り通しました。

 太陽の塔の企画会議の席に、なぜか私も連れていってもらいました。太郎さんが情熱をこめて太陽の塔の説明をしていた声と顔が、今でもありありと浮かんできます。

 夢の中の太郎さんの横には平野さんもいて、三人でどこかの料亭で、豪華な食事をしていました。昔、昔、そういうことがよくあったのです。支払いはいつも太郎さんでした。平野さんがサインしていました。夢の中で、太郎さんが食事をとめ、平野さんにボーイを呼ばせました。私はそれを聞くなり、席を立って食堂の外へ逃げ出し走り始めました。呼んだボーイに、この肉はくさってるとか、焼けてないとか、太郎さんが文句を言うのに決まっています。いつもそうなのでした。でも心の芯のやさしい人でした。また、夢に出てきてほしいです。では、また。

週刊朝日  2020年2月7日号