僕は昔、神仏が出てきたり、UFOに乗せられて地球外惑星を見物したりするスペクタクルズな超常的な夢ばかりを見る時期が7年間ほどありましたが、最近は、現実的な日常とさほど変わらない、実に面白くもないつまんない夢ばかりを見せられています。

 でも今でも、昼の現実に対して夜の現実も評価して二つの現実をひとつに合体させて、これが僕の現実だと考えるようになりました。そーいう意味で絵は、昼と夜の夢のコラボだと思っています。三島さんじゃないけれど、僕も夢がだんだん現実化してきているので、そのうち、三島さんみたいに「僕には無意識がない」と言いだすかも知れません。

 でも死後の世界からこの現実を見れば、それは夢なんじゃないでしょうかね。怒ったり泣いたり、笑ったり悩んだりするこの現象そのものが夢だとすると、われわれは五欲に振りまわされたシンドイ人生を、これこそが現実だと思って生きていることになりますよね。そう考えるとこの現界は仮象の世界で、あちらが実相ということになりますね。そこでワーワー騒ぎながら結局三島流に言うと「仮面の告白」ということになるんでしょうか。無意識がない三島さんは仮面をはずした状態ってことかな。仮面をはずして生きられれば最高です。せめて夢では仮面をはずしましょう。いい夢を見ておやすみになって下さい。

■瀬戸内寂聴「バタンQ…夢になつかしの岡本太郎さん」

 仰せのごとく、私は、閑(ひま)さえあればバタンQと眠りに落ち、目が覚めれば、何やら食べつづけ、あわただしく喋(しゃべ)り疲れ、またバタンQと眠りに落ちています。夢さえ見ないと、言いたいところですが、夢はたっぷり流れてくれます。

 昨夜は、まるでこの手紙にお書きなさいというような夢が訪れましたよ。岡本太郎さんと、そのカノ女、平野敏子さんが、揃って現れてくれました。ほんとになつかしかったです。

 このところ万博の話がよく出て、太郎さんの太陽の塔にテレビでお目にかかることが多いせいでしょうか? 夢の中の太郎さんは、私がはじめてお目にかかった頃から二、三年めあたりの若々しい姿でしたよ。まだ晩年の認知症の気ぶりなど、全くなく、小さな目を倍くらいに見開いて、早口に、トツトツと喋っていました。そばには秘書(実は実質妻)の平野敏子さんが、背中いっぱいになる長い豊かな髪を、無造作にまとめて、全くの化粧気なしの素顔で、にこにこしていました。

次のページ