「山中さんは死んだ後をすごく気にするんですよね。婿養子で『死んでまで気を使いたくないから』と、病気の体にむち打って自分の墓をつくる。人間らしいから、愛おしいんです。演じながら『やっぱり人間とはそういうものかもしれない』と思ったりしました」
映画とは本当に深いものです、と微笑みながら語る。
映画好きだった父親の影響を受けたという。映画にのめり込んだのは津田さんが11歳のとき、学校で配られたチケットで「がんばれ!ベアーズ」を観てからだ。
「字幕の漢字は読めないし、わからないところも多かったけど、とにかく最後まで観きった、その達成感がものすごかったんです。生まれて初めて何かをやり遂げた!という感覚に包まれた。夏休みの課題も最後まで終えられないような子だったから、『映画を観ることって、こんなに楽しいんだ!』って目覚めちゃったんです」
それから日曜になると、朝から映画館に行き、入れ替え制もないなかで、終映まで同じ映画を観つづけたという。
「とにかく映画館にいたかったんです。僕は学校が本当に体に合わなかったんです。座っているだけで吐き気がするくらい嫌いだった。人と同じことをするのが苦手で、『なぜみんなと同じことができないの』『みんなできてるよ、君だけだよ、できてないの』と言われることが恐怖だった」
日常生活が苦痛でしかたがなかった。映画館に行くことは、そこから逃げる手段だったのだ。
「あの暗闇に逃げ込めば、日常を忘れられたんです。シートに身を沈めながら、映画の世界に入っていく。日曜日に朝から夜までずっとその物語に浸って、パンフレットを買って、家に帰っても自分の部屋でずっと物語に浸りきる。それでなんとか残りの1週間をやっていけた」
中学時代から映画の世界で働こうと決めていた。監督は頭がよくなければダメだと言われ、進む道は俳優しかない、と思った。
高校を中退し、上京。養成所を経て事務所に所属し、演技レッスンを受けながら、たまに小さな役をもらった。だがレッスンにはお金がかかる。たまらずに友人と劇団を立ち上げるが、今度はチケットノルマで結局バイト漬け。そんな日々が8年ほど続いた。