日本人にも「おなじみ」のミイラといえばエジプト。高温で雨が降らない乾燥帯のため、ミイラづくりには理想的な環境だ。リネン布を巻いたミイラの歴史は古い。紀元前3千年ごろにはつくられていたという。そしてエジプトのミイラには、ある共通点がある。

 ガラスケース越しだとわからないが、スパイシーな香りがするという。

「腐敗防止のために内臓を取り出したおなかに、殺菌作用のある天然鉱物のナトロンや塩のほか、香料を入れていたのです。他にも保存のために樹脂、天然のタールを用い、遺体を包んだリネンの包帯には、葬儀やいけにえの場面と文字が描かれた『死者の書』が書かれるなど、ミイラづくりや装飾技術の高さは、他に類をみません」

 亡くなった人の肖像画が描かれたマスクもエジプトのミイラの特徴だ。

 ツタンカーメン王の黄金のマスクのようにきらびやかではないが、「中王朝時代のミイラマスク」と、そこに入れられていた、子どものミイラは興味深い。

 肩まで伸びる黒髪と真珠の首飾りから、マスクに描かれたのは貴族階級の成人男性の肖像画だと分かる。だが、なかのミイラは子ども。どういうことなのか。

「日本にも同じような信仰がありますが、幼いわが子の死を嘆き、大人になった姿を想像して肖像画を描いた可能性があります。4千年も前に涙を流したであろう、親の心が伝わるミイラです」(坂上さん)

 一方、欧州では、人工的にミイラ化して保存する風習はほとんどない。聖人や偉大な指導者の遺体を、乾燥して風通しのよい地下霊廟(れいびょう)に遺体を置いてミイラ化させる事例も存在するが、ごく一部。 遺体が偶然ミイラになった『自然ミイラ』が、わずかに見つかるだけだ。

 展示されているのは、オランダの湿原で、1904年に発見された「ウェーリンゲメン」のミイラ。亡くなったのは、紀元前40~50年ごろといい、体格の大きい遺体が相手の腰に手を回すように見えるため、「ウェーリンゲメンのカップル」という名称で広まった。だが、88年に両者とも男性だと判明した。

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日本のミイラの特徴は