「繃帯(ほうたい)取替の際左腸骨辺の痛み堪へがたく号泣また号泣困難を窮む」

「この日始めて腹部の穴を見て驚く 穴といふは小き穴と思ひしにがらんどなり心持悪くなりて泣く」

 という記述が『仰臥漫録』にあります。

 こうした大変な苦痛を麻痺剤でごまかしながら、随筆や俳句の著作を続けたのですから、その精神力に感服します。日々、訪れる朋友たちが、時には折れそうになる子規の心を支えたのでしょう。

 この『仰臥漫録』に子規の親友だった夏目漱石は登場しません。この時期、漱石はロンドンに留学中だったのです。

  漱石虚子来る 漱石が来て 虚子が来て 大三十日

  漱石来るべき約あり 梅活けて 君待つ菴の 大三十日

 というのは、それ以前の句です。いずれも私が大好きな句です。

 子規は亡くなる10カ月ほど前にロンドンの漱石に手紙を書いています。

「僕ハトテモ君ニ再会スルコトハ出来ヌト思ウ。万一出来タトシテモソノ時ハ話モ出来ナクナッテルデアロー。実ハ僕ハ生キテイルノガ苦シイノダ」

 虚子からの手紙で子規の死を知ったロンドンの漱石は俳句を5句詠みました。そのうちの一句。

 手向くべき 線香もなくて 暮の秋

週刊朝日  2020年1月31日号

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帯津良一

帯津良一

帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など著書多数。本誌連載をまとめた「ボケないヒント」(祥伝社黄金文庫)が発売中

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