あのまま京都に住んでいると、1980年にニューヨークには行っていないし、MoMAでピカソ展も観てない。すると画家には転向していない。

 もうひとつの僕の人生も体験したかったけれど、美輪さんとセトウチさんの二人の「鶴の二声(ふたこえ)」で、今の人生があり、こうしてセトウチさんと「週刊朝日」のこの往復書簡もやっていることを思うと、色々ある人生の選択肢の中から、その人にふさわしい選択をしているんですね。

 セトウチさんの尼僧になる選択肢だって、生まれながらに約束された宿命としかいいようがないですよね。なるべくしてなっちゃったという訳です。僕が一年間禅寺に参禅したのと話が違います。セトウチさんの行為は人生の大革命です。京都に住めなかった僕も考えてみれば自分の意志がどこまで関与したかは実に怪しいものです。自分のあずかり知らない所で、運命があれこれ操作した結果、京都は止めなさいと、何か見えない力がブロックしたんだと思います。自力と他力がひとつになって、アーデモナイ、コーデモナイと。

 そー考えると、人間の意志だけが全てでないような気がします。何が起こるか判(わか)らない人生はやっぱり神秘というしかないです。

 ではまた。

■瀬戸内寂聴「美輪さんの一言、来なくてホントよかった」

 ヨコオさんの今度のお便りで、あの土地騒ぎのことを久しぶりに思いだしました。あの時は、ヨコオさんが近所に来たら、どんなに楽しいかと、活き活きしましたが、美輪明宏さんの反対の一言で、話がオジャンになったのでした。

 神秘的に美しい美輪さんは、確かに不思議な、神がかった能力を備えていて、「それはダメ!」と言われる一言で、どんな夢もたちまちうちこわされてしまいます。反対にどんなに人々から反対されていることでも、美輪さんのあの目でじっと見つめられ、「大丈夫! 誰が反対しても、それはやりなさい。やれば成功疑いなし!」と言われたら、火の中、水の中へも飛びこんで行きたくなります。

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