「諏訪監督のやり方はすごく自分に合っていたと思います。できあがった映画を見たとき、ハルがまったく自分ではない別の人に見えて、おもしろかった」

 印象深かった場面に、広島で最初にハルと出会う男性(三浦友和)とのシーンをあげる。絶望の末、道ばたで倒れこむハルを家に連れ帰り、食事を出してくれる男性だ。そして彼もまた身内を亡くす悲劇を背負っていることがわかる。

「鍋を囲みながら、三浦さんに『生き残ったんだから、食わなきゃな』って言われるシーン。あのときハルはとりあえず、死ぬことよりも生きるほうへ進んだ。あの言葉がハルには大きかったのかな、といまも思います」

 それまで張り詰めたように無言だったハルが、ようやく一言を発する。観ている人も、ホッとする場面だ。

 東日本大震災のとき、モトーラさんは東京にいた。当時12歳。震災についてどう感じてきたのだろう。

「高校のとき同じクラスに福島から来た子がいたんです。明るくて元気な女の子で、すごく仲良くしていたんですけど、ときどき学校で地震が起こると、気分が悪い、苦しいと保健室に行っていた。それまで震災はどこか遠い場所のこと、と思っていたけれど、あのとき初めて、震災の傷というものを感じました」

 今回の撮影で大槌町や、14年に77人の死者を出した広島県の土砂災害現場に行き、改めて多くのことを思ったという。

「東京ではいま、ものすごいスピードで開発が進んでいるけど、大槌町には津波のあとが全くそのままのところが残っていました。広島の土砂災害現場も同じで、大量のがれきをたった2台のダンプカーが往復して運んでいるんです。『これじゃ、一向に終わりそうにない!』とショックでした。東京に帰って渋谷の駅から工事現場を見ると、狭いところでクレーンが20台くらい動いている。ここに、こんなに必要なの?って思いました」

 その違和感や疑問は、たしかに映画に映り、観る人の心に何かを気付かせてくれる。

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