「そのうち(記録は)出ると思っていた。まだまだ課題は多いので、もっと速く走れる」

 と特別な感情は湧かなかった。成長を続ける20歳にとっては、あくまでも通過点だった。

 苦い経験もした。快挙から約4カ月。スタートに磨きをかけて臨んだドーハ世界選手権の男子100メートル準決勝。この種目で日本勢史上初の決勝進出に向け、一番外側の第9レーンで号砲を待った。しかし、1歩目が出遅れた。大きなストライドを伸ばして追い上げ、自動的に決勝に進める2着に0秒03差まで迫ったものの届かない。10秒15の5着に終わった。

 レース直後、大きな背中を丸め、走ったばかりのトラックを見つめた。2分ほど経っただろうか。結果を受け入れるようにうなずいて振り返ると、いつもの人懐っこい笑顔に戻っていた。

「やっちゃった。(号砲の)音がちっちゃくて全然聞こえなかった」

 笑い飛ばし、大会後半に行われる男子400メートルリレーに向けて気持ちを切り替えた。

 サニブラウンはよく笑う。レース直前でも直後でも。なぜ?と聞いたら、「だって走るのが楽しいんですもん。ワクワクするんです」。

 競技への熱意を失いかけたときもあった。城西中2年の終わり。中学入学時に162センチだった身長が180センチ近くまで伸び、急成長に伴うひざの痛みで走れなかった時期が続いた。大会に1年以上も出られず、周囲に「俺はもうだめかも」と漏らし、部屋に引きこもったこともあったという。家族や同級生、先輩たちから励まされ、中学3年から復帰。走れる喜びを取り戻すと、そこから快進撃が始まった。

 中学3年の夏に200メートルで全国2位になり、高校1年の秋に100メートルで全国大会で優勝した。その名を一躍有名にしたのは、高校2年時に出場した15年の世界ユース選手権(コロンビア・カリ)。100メートルを10秒28の大会新で制し、200メートルでも世界記録保持者のウサイン・ボルト(ジャマイカ)が持っていた大会記録を破って20秒34で優勝した。

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