そうそう、ヨコオさんと一緒に行った後楽園球場のロックコンサートのことは、よく覚えていますよ。始まるなり大雨になり、それでも見物人は一人も席を立たず、メンバーが全員裸になったことは覚えていないけれど、大雨なのに、誰一人楽器を離さず、演奏をつづけたのは、迫力そのものでした。見物人も興奮しきって、演奏者に負けずに、裸になる人も一杯でてきましたね。音楽より、豪雨と、雷鳴がもの凄(すご)くて、誰一人抜けて帰ろうとせず、全身雨にうたれながら、席を動きませんでしたね。ヨコオさんはすっかり興奮して、少年のようにはしゃいでいましたね。

 あの当時、私は球場が窓の外に見える場所のマンションの11階に住んでいたので、毎日後楽園球場から聞こえてくる音楽や、見物人の歓声を聞いていたものです。そのマンションの部屋で、川端さんの自殺の報をテレビで見ました。そして私はそのマンションの部屋から、出家をしに中尊寺へ出発したのです。五十一歳の秋でした。あれから四十六年も経ったなんて信じられません。まあ、この四十六年に、何と様々なことがあったこと!

 したいことをすべてしてきた人生でした。そうそう、バイクにも乗りましたよ! 天台寺の檀家(だんか)に、バイク狂の男がいて、凄い上等のバイクを持っていて、日本国中を走り廻(まわ)っていました。彼がいつでもこのバイクに乗せてくれ、すっ飛ばしてくれました。二十人余りしかない檀家ですが、一々(いちいち)くわしいことは覚えていません。でもみんな仲がよく、楽しい仲間でした。でももう通うことはできないでしょう。

 ショーケンが天台寺へよく来て、「ここ、おれにくれ! 先生の倍くらい人を集められるよ」と言っていたのを思い出します。天台寺へも、もう行けるかどうかわかりません。

 この正月で、数え年九十九歳になるのかな、この所、貰(もら)いもののうなぎで、毎日お酒を呑んでいます。では、またね。

週刊朝日  2020年1月17日号